爱撕衣萌翻译系列:11区砖家:多掌握一门外语,就等于多 ...

来源:百度文库 编辑:超级军网 时间:2024/04/28 13:52:32
原文:【正論】比較文化史家、東大名誉教授・平川祐弘 特定国への惚れこみは国を過つ

≪複数の言語環境に感受性を≫

 「グローバル経済は日本の伝統的経済活動を損傷し、地域社会を破壊した」という米国紙上の鳩山発言は世界の警戒心を呼びさました。米国主導の市場原理主義に翻弄(ほんろう)されたと感じる読者の一部は鳩山発言に賛成した。グローバリゼーションの否定面をあげつらうのは容易だが、問題はグローバル化の受益国でもある以上、我が国の政治家の任務は批判だけでなく、世界化という不可逆的現象に対し日本はいかに対処すべきかという戦略の立案にある。

 ここでは世間の注意が未だ及ばぬグローバル化と言語エリート養成の問題にふれたい。

 通信手段の発達は、金融・経済の地球的一体化のみか、言語文化的な一元化をも強要する。19世紀から20世紀にかけて英米が覇権的地位を占めたため、英語は「世界語」となった。そんな北米合衆国に対抗し、欧州合衆国ともいうべき欧州連合(EU)が出現した。パリはこの機に仏語の復権を望んだが、EU内の共通語は英語となり、世界的な英語支配は逆に強固となった。

 「ユーロピアン・ユニオン」の英語略称のEUが定着した。EUはフランス語ではアメリカ合衆国(EtatsUnis)の略称だから皮肉である。シラク仏元大統領は、自ら出席した欧州財界人会議でフランス代表が英語で演説するや激怒した。だが、欧州共通の第一外国語は英語だ。かつてロシアの影響が強かった東欧圏も中国も言語的には「脱露入英」している。

 日本人も英語だけ習えば事足りるのか。大学で第二外国語を習ってものにならない程度の知力の人は英語だけでいいと言う。

 しかし世界の共通語だから英語は習うのであって、米国優位の相対的低下に伴い地域間の紛争摩擦は増加する以上、日本の指導層は複数の言語文化に対する感受性を磨かねばならない。現に日本の周辺には英語国でない大国の存在感が増している。

 ≪戦前陸軍の独語優位に弊害≫

 では、この日米中の関係を言語文化史的にどう把握するか。三角関係には愛憎がからむ。カップルは日中、日米、中米の三通りの組み合わせが可能だ。日中同盟の発想は幕末からあった。漢学的素養の持主は西洋物質文明に対する東洋精神の優位を説き、西郷隆盛も石原莞爾も「東洋の王道、西洋の覇道」と主張した。西洋列強の東亜侵略に対し儒教を奉ずる国が連携し対抗するといったが、王道の主張は内容空虚で石原は満州事変を起こした。

 戦後は社会党の浅沼稲次郎が「米帝国主義は中日共同の敵」と毛沢東支持を北京で誓った。その弟子筋は現在の民主党内にもいる。

 そうした考えに対し、遅れているアジアとは同盟せず進んで西洋に加われ、漢籍よりも英書を読めと説いたのは福沢諭吉で、日本は語学的には脱漢入英し日英同盟を結んだ。

 だが、中国をめぐり日米は対立、結局ドイツと同盟、世界を敵に回し戦争に突入、日本は敗北した。戦後は米国と結んで復活、今は日米同盟が基軸だが果たして揺らぎはないのか。

 ここで同盟関係を具体的に外国語の問題として考えたい。日独同盟を推進した勢力は陸軍だが、軍部内では幼年学校以来のドイツ語教育と共にドイツ一辺倒の軍人が発言権を握った。ベルリンの武官から駐独大使となった大島浩中将が代表例だ。戦前の日本で高校と帝大ではドイツ語が重んぜられドイツは尊敬すべき文化大国と思われていた。

 当時の外交は世論と無関係とはいえ、親独の学界は日独同盟に反対しなかった。例外は昭和15年、思い切ったナチス批判を『思想』に発表した独文学者竹山道雄で、竹山はベルリンのみかパリにも留学、ユダヤ人とも交際があったからドイツ一辺倒を批判できた。

 ≪文化や政治の三点測量を≫

 ところで戦後の日本にはチャイナ・スクールという、なにかといえば人民中国を持ち上げる勢力が存在する。日本独文学会でドイツ万歳を唱えていれば独文学者は暮らしやすかったが、中国専門家の間では中国万歳を唱えていれば大使にまで出世できた。官界学界における語学別縦割り組織の欠点である。

 語学専門家は学問対象を愛さねばならない。だが特定国への惚(ほ)れこみは国を過(あやま)つ。小磯国昭はその傾向を「殊に笑止なのは英国に永い人はパリやベルリンを誹謗(ひぼう)し、仏国に永い人は英独を、ドイツに永い人は英仏を良く言わず、駐在国が駐在者の母国ででもあるかのような話振りを聞くことが屡々(しばしば)である」と批判した。

 戦前ドイツ専門家がヒトラーを礼讃したのと、戦後、中国専門家が毛沢東を礼讃したのとその非に大差はない。

 一国専門家の一辺倒を抑えるためにも、グローバル化時代には複数の外国語をマスターし、文化や政治で東洋、西洋、日本の三点測量ができる知的選良を育てねばならない。それが長い目で見て日本の安全保障に資する所以(ゆえん)と考える。(ひらかわ すけひろ)
  

翻译:作者:比较文化史学家、东大名誉教授・平川祐弘

略译:
鸠山这孙子曾放话说,“一朝痴迷全球化,终身被逼拍无码。” 这的确让世人无不菊花一紧。但是作为一个有良心的人,我不得不说:
一朝破膜固难还,
爸爸打赏千百万。
劝君少骂草泥马,
多思赶超武藤兰。

在这里我想说说培养语言精英的问题,这个问题还是社会上很少有人注意的。

现在通信手段发达了,不但要求经济一体化,还强迫不准说“期末期一”只准说“I feel so good!”19世纪和20世纪世界的狗锈金是英国人和爸爸,所以英语是世界语。后来欧洲的大小姐们要和爸爸对抗,就搞了个欧盟出来。高卢人心想复辟世界上最美丽的语言的机会到了,没想到最后欧盟说的还是英语,国际语言还是英语。

于是欧盟就采用了英语的缩写EU,在自称世界最美的语言中,美丽奸合众国念做Etats Unis,缩写也是EU,简直就给了高卢人一个响亮的嘴巴子。有一次希拉克去开欧洲财主大会,听到高卢代表居然说英语,大发雷霆。但是欧洲通用的语言就是英语,连毛子都在说“谁崇英媚美啦,英美鬼畜傻,学不来俄文,我体谅他们而已,你们别误会了!”

那皇民们是不是也只要学英语就好了呢?在大学学第二外语却学不好的死大的话光学英语就够了。

但虽说英语是通用语不得不学,但是最近爸爸持续时间短了,皇国四周的纠纷也越来越多了,当政者必须增加自己对多种语言文化的感受性。事实上,皇国周边的不说英语的大国的存在感就越来越高。

那么,怎样从语言文化史的角度来把握日美中的关系呢?三角关系弄不好就要日在校园奶丝波特的,而基或百合的话不算后宫翅膀有三个可能性。日中同盟的构想来自于幕末,当时不少人汉学素养很高,认为西方物质文明都是蛮夷的那一套,西乡隆盛和石原莞尔都说“东洋王道西洋霸道”。所谓的王道就是信孔老二的东亚国家联合起来抵抗西洋列强,结果只有口号,没有内容,918还就是石原搞出来的。

战后,社会党有个叫浅沼稻次郎的,他在北京力挺土共太祖,还说“美帝乃中日共同的敌人”他的徒子徒孙现在打的就是“苇月伊织满塞”的幌子。

福泽谕吉则主张道:
东亚遍地穷负犬,
能躲多远躲多远。
正统王道在西洋,
学好英文早结缘。
结果在语言学上变成了日英同盟。

结果为了争谁走种花国水路谁走种花国旱路,皇国和美帝吵了起来,最后说了一句“你坏,我今后跟汉斯玩,不跟你玩了!”结果听信汉斯花言巧语与全世界为敌,被美帝的蘑菇射得满脸都是,只有大呼“元首误我”。战后皇国认了美国爸爸,从此不愁吃穿,但是父嫁结局真的能实现吗?

希望大家能通过具体的外语问题来考虑同盟关系。鼓吹信小胡子死后原地复活的是陆军,军部里捏着发言权的自从幼儿园毕业后就一直学德语的兵痞子,大岛浩就是鲜活的例子。在没领教过爸爸的蘑菇先,皇国的高中大学都偏重德语,还认为德国文化要原在于朝鲜半岛文化之上。

虽说当时的外交不受舆论影响,但是当时的砖家教授个个亲德,不犯对跟元首走,唯一的例外就是德文学家竹山道雄,写文章同批纳粹。这个人柏林待过,巴黎也待过,还和犹太人打过交道,所以能批判小胡子一边倒。

战后皇国却冒出一群种花国帮,专门鼓吹土共如何神通广大。要是在日本德文学会高呼德意志万岁,最多能让德文学家多那点钱,但是种花国帮更不得了,连大使都出了。有诗为证:
大树底下好乘凉,
河蟹威光慑西洋。
欲当大使有捷径,
种花万岁齐高唱。
官界学界都按所学的语言拉帮结派,这是个顽疾。

学什么爱什么并不错,但是在一棵树上吊死于国无补。小矶国昭就批判说,在英国呆久了变成德法黑,在法国呆久了变英德黑,德国呆久了变英法黑,好像驻在国变老家了一样。

战前砖家的元首万岁和战后砖家的太祖万岁没多大区别。

在这个全球化的时代,为了抑制砖家叫兽一边倒的现象,必须培养掌握多门外语、能从东方西方皇国三个角度看问题的人才,这样才能长远地保障皇国的安全。原文:【正論】比較文化史家、東大名誉教授・平川祐弘 特定国への惚れこみは国を過つ

≪複数の言語環境に感受性を≫

 「グローバル経済は日本の伝統的経済活動を損傷し、地域社会を破壊した」という米国紙上の鳩山発言は世界の警戒心を呼びさました。米国主導の市場原理主義に翻弄(ほんろう)されたと感じる読者の一部は鳩山発言に賛成した。グローバリゼーションの否定面をあげつらうのは容易だが、問題はグローバル化の受益国でもある以上、我が国の政治家の任務は批判だけでなく、世界化という不可逆的現象に対し日本はいかに対処すべきかという戦略の立案にある。

 ここでは世間の注意が未だ及ばぬグローバル化と言語エリート養成の問題にふれたい。

 通信手段の発達は、金融・経済の地球的一体化のみか、言語文化的な一元化をも強要する。19世紀から20世紀にかけて英米が覇権的地位を占めたため、英語は「世界語」となった。そんな北米合衆国に対抗し、欧州合衆国ともいうべき欧州連合(EU)が出現した。パリはこの機に仏語の復権を望んだが、EU内の共通語は英語となり、世界的な英語支配は逆に強固となった。

 「ユーロピアン・ユニオン」の英語略称のEUが定着した。EUはフランス語ではアメリカ合衆国(EtatsUnis)の略称だから皮肉である。シラク仏元大統領は、自ら出席した欧州財界人会議でフランス代表が英語で演説するや激怒した。だが、欧州共通の第一外国語は英語だ。かつてロシアの影響が強かった東欧圏も中国も言語的には「脱露入英」している。

 日本人も英語だけ習えば事足りるのか。大学で第二外国語を習ってものにならない程度の知力の人は英語だけでいいと言う。

 しかし世界の共通語だから英語は習うのであって、米国優位の相対的低下に伴い地域間の紛争摩擦は増加する以上、日本の指導層は複数の言語文化に対する感受性を磨かねばならない。現に日本の周辺には英語国でない大国の存在感が増している。

 ≪戦前陸軍の独語優位に弊害≫

 では、この日米中の関係を言語文化史的にどう把握するか。三角関係には愛憎がからむ。カップルは日中、日米、中米の三通りの組み合わせが可能だ。日中同盟の発想は幕末からあった。漢学的素養の持主は西洋物質文明に対する東洋精神の優位を説き、西郷隆盛も石原莞爾も「東洋の王道、西洋の覇道」と主張した。西洋列強の東亜侵略に対し儒教を奉ずる国が連携し対抗するといったが、王道の主張は内容空虚で石原は満州事変を起こした。

 戦後は社会党の浅沼稲次郎が「米帝国主義は中日共同の敵」と毛沢東支持を北京で誓った。その弟子筋は現在の民主党内にもいる。

 そうした考えに対し、遅れているアジアとは同盟せず進んで西洋に加われ、漢籍よりも英書を読めと説いたのは福沢諭吉で、日本は語学的には脱漢入英し日英同盟を結んだ。

 だが、中国をめぐり日米は対立、結局ドイツと同盟、世界を敵に回し戦争に突入、日本は敗北した。戦後は米国と結んで復活、今は日米同盟が基軸だが果たして揺らぎはないのか。

 ここで同盟関係を具体的に外国語の問題として考えたい。日独同盟を推進した勢力は陸軍だが、軍部内では幼年学校以来のドイツ語教育と共にドイツ一辺倒の軍人が発言権を握った。ベルリンの武官から駐独大使となった大島浩中将が代表例だ。戦前の日本で高校と帝大ではドイツ語が重んぜられドイツは尊敬すべき文化大国と思われていた。

 当時の外交は世論と無関係とはいえ、親独の学界は日独同盟に反対しなかった。例外は昭和15年、思い切ったナチス批判を『思想』に発表した独文学者竹山道雄で、竹山はベルリンのみかパリにも留学、ユダヤ人とも交際があったからドイツ一辺倒を批判できた。

 ≪文化や政治の三点測量を≫

 ところで戦後の日本にはチャイナ・スクールという、なにかといえば人民中国を持ち上げる勢力が存在する。日本独文学会でドイツ万歳を唱えていれば独文学者は暮らしやすかったが、中国専門家の間では中国万歳を唱えていれば大使にまで出世できた。官界学界における語学別縦割り組織の欠点である。

 語学専門家は学問対象を愛さねばならない。だが特定国への惚(ほ)れこみは国を過(あやま)つ。小磯国昭はその傾向を「殊に笑止なのは英国に永い人はパリやベルリンを誹謗(ひぼう)し、仏国に永い人は英独を、ドイツに永い人は英仏を良く言わず、駐在国が駐在者の母国ででもあるかのような話振りを聞くことが屡々(しばしば)である」と批判した。

 戦前ドイツ専門家がヒトラーを礼讃したのと、戦後、中国専門家が毛沢東を礼讃したのとその非に大差はない。

 一国専門家の一辺倒を抑えるためにも、グローバル化時代には複数の外国語をマスターし、文化や政治で東洋、西洋、日本の三点測量ができる知的選良を育てねばならない。それが長い目で見て日本の安全保障に資する所以(ゆえん)と考える。(ひらかわ すけひろ)
  

翻译:作者:比较文化史学家、东大名誉教授・平川祐弘

略译:
鸠山这孙子曾放话说,“一朝痴迷全球化,终身被逼拍无码。” 这的确让世人无不菊花一紧。但是作为一个有良心的人,我不得不说:
一朝破膜固难还,
爸爸打赏千百万。
劝君少骂草泥马,
多思赶超武藤兰。

在这里我想说说培养语言精英的问题,这个问题还是社会上很少有人注意的。

现在通信手段发达了,不但要求经济一体化,还强迫不准说“期末期一”只准说“I feel so good!”19世纪和20世纪世界的狗锈金是英国人和爸爸,所以英语是世界语。后来欧洲的大小姐们要和爸爸对抗,就搞了个欧盟出来。高卢人心想复辟世界上最美丽的语言的机会到了,没想到最后欧盟说的还是英语,国际语言还是英语。

于是欧盟就采用了英语的缩写EU,在自称世界最美的语言中,美丽奸合众国念做Etats Unis,缩写也是EU,简直就给了高卢人一个响亮的嘴巴子。有一次希拉克去开欧洲财主大会,听到高卢代表居然说英语,大发雷霆。但是欧洲通用的语言就是英语,连毛子都在说“谁崇英媚美啦,英美鬼畜傻,学不来俄文,我体谅他们而已,你们别误会了!”

那皇民们是不是也只要学英语就好了呢?在大学学第二外语却学不好的死大的话光学英语就够了。

但虽说英语是通用语不得不学,但是最近爸爸持续时间短了,皇国四周的纠纷也越来越多了,当政者必须增加自己对多种语言文化的感受性。事实上,皇国周边的不说英语的大国的存在感就越来越高。

那么,怎样从语言文化史的角度来把握日美中的关系呢?三角关系弄不好就要日在校园奶丝波特的,而基或百合的话不算后宫翅膀有三个可能性。日中同盟的构想来自于幕末,当时不少人汉学素养很高,认为西方物质文明都是蛮夷的那一套,西乡隆盛和石原莞尔都说“东洋王道西洋霸道”。所谓的王道就是信孔老二的东亚国家联合起来抵抗西洋列强,结果只有口号,没有内容,918还就是石原搞出来的。

战后,社会党有个叫浅沼稻次郎的,他在北京力挺土共太祖,还说“美帝乃中日共同的敌人”他的徒子徒孙现在打的就是“苇月伊织满塞”的幌子。

福泽谕吉则主张道:
东亚遍地穷负犬,
能躲多远躲多远。
正统王道在西洋,
学好英文早结缘。
结果在语言学上变成了日英同盟。

结果为了争谁走种花国水路谁走种花国旱路,皇国和美帝吵了起来,最后说了一句“你坏,我今后跟汉斯玩,不跟你玩了!”结果听信汉斯花言巧语与全世界为敌,被美帝的蘑菇射得满脸都是,只有大呼“元首误我”。战后皇国认了美国爸爸,从此不愁吃穿,但是父嫁结局真的能实现吗?

希望大家能通过具体的外语问题来考虑同盟关系。鼓吹信小胡子死后原地复活的是陆军,军部里捏着发言权的自从幼儿园毕业后就一直学德语的兵痞子,大岛浩就是鲜活的例子。在没领教过爸爸的蘑菇先,皇国的高中大学都偏重德语,还认为德国文化要原在于朝鲜半岛文化之上。

虽说当时的外交不受舆论影响,但是当时的砖家教授个个亲德,不犯对跟元首走,唯一的例外就是德文学家竹山道雄,写文章同批纳粹。这个人柏林待过,巴黎也待过,还和犹太人打过交道,所以能批判小胡子一边倒。

战后皇国却冒出一群种花国帮,专门鼓吹土共如何神通广大。要是在日本德文学会高呼德意志万岁,最多能让德文学家多那点钱,但是种花国帮更不得了,连大使都出了。有诗为证:
大树底下好乘凉,
河蟹威光慑西洋。
欲当大使有捷径,
种花万岁齐高唱。
官界学界都按所学的语言拉帮结派,这是个顽疾。

学什么爱什么并不错,但是在一棵树上吊死于国无补。小矶国昭就批判说,在英国呆久了变成德法黑,在法国呆久了变英德黑,德国呆久了变英法黑,好像驻在国变老家了一样。

战前砖家的元首万岁和战后砖家的太祖万岁没多大区别。

在这个全球化的时代,为了抑制砖家叫兽一边倒的现象,必须培养掌握多门外语、能从东方西方皇国三个角度看问题的人才,这样才能长远地保障皇国的安全。