1945.7.3 石垣岛的日本人乘船逃往台湾路上被美机扫射, ...

来源:百度文库 编辑:超级军网 时间:2024/05/08 06:40:50
安倍桑鼓吹修改日本宪法第9条,今天又前往石垣岛视察。每日新闻今天做了一个专题报道,讲了一个二战幸存日本平民的故事。74岁的宫良幸宏出生于琉球石垣岛,68年前的1945年7月3日,冲绳战役激战之时,石垣岛的日本人在当地军队的命令下乘坐两艘疏散船前往台湾,当时宫良只有6岁,一家六口人都登上了疏散船。路上被美军飞机发现,遭到机枪扫射,一艘船起火后沉没,宫良等乘坐的船舶发动机损坏,漂泊到钓鱼岛。这些日本人登岛后没有食物,只能以杂草为食,日本投降后,8月18日这些人才被救回琉球。宫良的弟弟(1岁)和妹妹(3岁)因营养不良回到石垣岛后死亡,累计饿死80余人。宫良的母亲活了102岁,对在钓鱼岛逃难期间因为没有母乳导致宫良弟弟饿死一事痛悔一生。宫良称不能让战争悲剧重演,在参院选举时肯定会投票。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130717-00000005-maiall-pol
<参院選>あんな悲劇もう… 戦時中に尖閣遭難、生存の74歳 「平和もっと議論を」
毎日新聞 7月17日(水)9時48分配信
 15日に放映されたテレビインタビューで、再び憲法9条改正に意欲を見せた安倍晋三首相。尖閣諸島を巡る日本と中国の対立が9条改正論を後押ししているとの指摘もあるが、沖縄・石垣島出身の宮良(みやら)幸宏さん(74)=横浜市港南区=には、それがつらい。戦時中に尖閣諸島の沖合で空襲を受け、弟と妹を亡くしたからだ。「もうあんな悲劇は繰り返してほしくない。参院選は憲法のことも考えて1票を投じてほしいんです」【前谷宏、写真も】

 68年前の1945年7月3日。石垣島の住民は軍の指示で2隻の疎開船に乗り、台湾に向かっていた。当時6歳の宮良さんも母親、6人のきょうだいと船上にいた。

 突然ダ、ダ、ダという音と共に、目の前にいた男の子が崩れ落ちた。米軍機の機銃掃射だった。近くを航行していた別の疎開船は炎上して沈没。宮良さんたち約100人を乗せた船も機関が壊れ、尖閣諸島の一つ、魚釣島に漂着した。

 島は無人で、疎開者たちは「クバ」と呼ばれる木の芯や雑草で食いつなごうとしたが、次々と餓死者が出た。終戦後の同年8月18日に救助が来たが、宮良さんの妹(当時3歳)と弟(同1歳)は石垣島に戻った直後に栄養失調で亡くなった。犠牲者数は80人以上との説もあり、関係者の間で「尖閣諸島戦時遭難事件」として語り継がれている。

 宮良さんは戦後も「平和」を実感できなかった。大学進学のために渡った沖縄本島では、ブルドーザーで次々と米軍基地が造成されていた。「平和と人権が保障されているところで暮らしたい」と親戚を頼って上京。大学に入り直し、教員になった。だが72年の沖縄返還後も米軍基地は残り、一方で戦時中の体験はどんどん忘れられていると感じた。

 83年、あらがうように自らの戦時体験をまとめた本を自費出版。さらに退職後の2006年には作家の大江健三郎さんらが「九条の会」設立を呼びかけたのに応じ、地元の仲間と「港南台9条の会」を結成した。参院選が近づいた先月22日も、横浜市のJR港南台駅前で、通行人にビラを手渡した。だが、受け取ってくれる人はまばら。「憲法への関心は高まっていない」と歯がゆかった。

 5年前に102歳で亡くなった宮良さんの母親は、魚釣島で乳の出なくなった乳房をかみ続ける弟を「痛い」と押しのけたことを一生悔いていたという。宮良さんは訴える。

 「戦争で問題を解決しようとすれば、また僕らのような被害者を出す。もっと別のやり方はないのか、投票日が近づいた今こそ、もっと議論してほしい」安倍桑鼓吹修改日本宪法第9条,今天又前往石垣岛视察。每日新闻今天做了一个专题报道,讲了一个二战幸存日本平民的故事。74岁的宫良幸宏出生于琉球石垣岛,68年前的1945年7月3日,冲绳战役激战之时,石垣岛的日本人在当地军队的命令下乘坐两艘疏散船前往台湾,当时宫良只有6岁,一家六口人都登上了疏散船。路上被美军飞机发现,遭到机枪扫射,一艘船起火后沉没,宫良等乘坐的船舶发动机损坏,漂泊到钓鱼岛。这些日本人登岛后没有食物,只能以杂草为食,日本投降后,8月18日这些人才被救回琉球。宫良的弟弟(1岁)和妹妹(3岁)因营养不良回到石垣岛后死亡,累计饿死80余人。宫良的母亲活了102岁,对在钓鱼岛逃难期间因为没有母乳导致宫良弟弟饿死一事痛悔一生。宫良称不能让战争悲剧重演,在参院选举时肯定会投票。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130717-00000005-maiall-pol
<参院選>あんな悲劇もう… 戦時中に尖閣遭難、生存の74歳 「平和もっと議論を」
毎日新聞 7月17日(水)9時48分配信
 15日に放映されたテレビインタビューで、再び憲法9条改正に意欲を見せた安倍晋三首相。尖閣諸島を巡る日本と中国の対立が9条改正論を後押ししているとの指摘もあるが、沖縄・石垣島出身の宮良(みやら)幸宏さん(74)=横浜市港南区=には、それがつらい。戦時中に尖閣諸島の沖合で空襲を受け、弟と妹を亡くしたからだ。「もうあんな悲劇は繰り返してほしくない。参院選は憲法のことも考えて1票を投じてほしいんです」【前谷宏、写真も】

 68年前の1945年7月3日。石垣島の住民は軍の指示で2隻の疎開船に乗り、台湾に向かっていた。当時6歳の宮良さんも母親、6人のきょうだいと船上にいた。

 突然ダ、ダ、ダという音と共に、目の前にいた男の子が崩れ落ちた。米軍機の機銃掃射だった。近くを航行していた別の疎開船は炎上して沈没。宮良さんたち約100人を乗せた船も機関が壊れ、尖閣諸島の一つ、魚釣島に漂着した。

 島は無人で、疎開者たちは「クバ」と呼ばれる木の芯や雑草で食いつなごうとしたが、次々と餓死者が出た。終戦後の同年8月18日に救助が来たが、宮良さんの妹(当時3歳)と弟(同1歳)は石垣島に戻った直後に栄養失調で亡くなった。犠牲者数は80人以上との説もあり、関係者の間で「尖閣諸島戦時遭難事件」として語り継がれている。

 宮良さんは戦後も「平和」を実感できなかった。大学進学のために渡った沖縄本島では、ブルドーザーで次々と米軍基地が造成されていた。「平和と人権が保障されているところで暮らしたい」と親戚を頼って上京。大学に入り直し、教員になった。だが72年の沖縄返還後も米軍基地は残り、一方で戦時中の体験はどんどん忘れられていると感じた。

 83年、あらがうように自らの戦時体験をまとめた本を自費出版。さらに退職後の2006年には作家の大江健三郎さんらが「九条の会」設立を呼びかけたのに応じ、地元の仲間と「港南台9条の会」を結成した。参院選が近づいた先月22日も、横浜市のJR港南台駅前で、通行人にビラを手渡した。だが、受け取ってくれる人はまばら。「憲法への関心は高まっていない」と歯がゆかった。

 5年前に102歳で亡くなった宮良さんの母親は、魚釣島で乳の出なくなった乳房をかみ続ける弟を「痛い」と押しのけたことを一生悔いていたという。宮良さんは訴える。

 「戦争で問題を解決しようとすれば、また僕らのような被害者を出す。もっと別のやり方はないのか、投票日が近づいた今こそ、もっと議論してほしい」
钓鱼岛上原来还曾经死过这么多日本人。。。
1945年7月3日,琉球本岛早就被美军占领了啊,西边日军还在坚守?
我中华属国人民真是多灾多难
1875年法国军舰拿了福州布政司的准文到钓鱼岛测绘,这是官方性质的,小三你这个是难民
che 发表于 2013-7-17 10:51
1945年7月3日,琉球本岛早就被美军占领了啊,西边日军还在坚守?
日军让石垣岛当地人逃往台湾而没有逼他们自杀。。。
不可能吧,那岛上怎么有羊的
不可能吧,那岛上怎么有羊的
羊是日本右翼九十年代在岛上放生的吧,结果繁殖得不错,形成种群了,严重影响当地生态环境
污蔑我们大灯塔民主天国,不想活了是吧?
这算不是躲在中国领土上的日本难民?
那是琉球人。
che 发表于 2013-7-17 10:51
1945年7月3日,琉球本岛早就被美军占领了啊,西边日军还在坚守?
还有台湾啊