二战美军K口粮(Ration Type K)

来源:百度文库 编辑:超级军网 时间:2024/04/28 20:20:30
[size=+2]Ration Type K
Ration Type Kは一般的にK-レーションと呼ばれる、第二次世界大戦で多用された米軍個人携帯用戦闘糧食です。
k-Ration開発の秘密
 第一次世界大戦の教訓から戦場での食に関する研究は各国で進み、アメリカでも陸軍補給部隊研究開発局を中心に様々な研究が行われました。 その結果糧食を配給状況によりA~Dの4区分に分け、A-Rationは基地やキャンプで食べるギャリソンレーション、B-Rationは戦地のフィールド・キッチンで纏めて調理されたり、後方で調理してから運搬された食事、または大型缶詰などグループで分けて食べる食料 C-Rationは戦地で温食の配給が出来ない事を前提として配給される個人向け携帯食料、 D-Rationは携帯性重視の非常食としていました。  第二次大戦はじめ、当時ヨーロッパにおけるドイツ軍の電撃作戦は米軍にも衝撃を与え、軍上層部もこれからの戦闘は機動戦が重要な鍵を握ると考えます。 その頃の個人携帯用戦闘糧食にC-Rationが準備されていたのですが、これは箱詰めされていない6個の缶詰をそのまま支給する物で、重く嵩張るという難点がありました。 そこで迅速に機動展開する兵士たちが自分たちで携帯し、邪魔にならず、必要な栄養を簡単に摂る事が出来るような、C-RationとD-Rationの中間に位置する軽量レーションが求められるようになり、 これがK-Ration開発のきっかけとなりました。 まず軍では開発コンセプトとして 1. 戦闘用レーションで、緊急用レーションとは見なされない事  2. 軽量コンパクトで楽に持ち運べる事  3. 栄養的にバランスが取れていることなど9項目にわたる要件が示されました。  さて、軍の要望を受けたミネソタ大学のサブシスタンス・リサーチ・ラボラトリーは、新型レーションの開発に着手します。 最初は現在のエネルギーバーのような物が考案され、それはビスケット状で、肉やジャムなどを混ぜて固めた「ペミカン」と呼ばれる物でした。 しかしそれはお世辞にも食欲をそそる物ではなく、テストは散々な結果に終わります。 (余談ですが当時、日本でも同じようなコンセプトで、肉入り乾パンなどが作られましたが、これも連食に耐えられる物ではなく、結局採用される事はありませんでした。) 時をおなじくして、当時軍ではパラシュートによる敵地侵攻作戦が考案され、それに伴い空挺部隊が発足します。 敵地奥深くにパラシュート降下した隊員は、降下した後、徒歩での移動が前提なので個人で携帯できる重量に限りがありながら、本隊が到着するまでは持っている装備だけで戦い続けなくてはなりません。 その為おのずと武器弾薬を沢山携帯したい、替わりにその他の装備は出来るだけ少なくしたいと考え、空挺部隊用の特殊軽量レーションの開発が必要となりました。 空挺部隊の要求は空挺服のポケットにすっぽり収まるサイズ(6インチ×2.5インチ×1インチ)以内、そして食塩タブレット、チョコレート、ピーナッツ、レーズン、濃縮スープ、固形ブイヨン、粉末フルーツジュースなどを内容物として入れると言う物でした。 この要望に従い開発を進めていく中で、先ほどのペミカンビスケットに乾燥ソーセージやドライケーキなどを組み合わせた試作品が出来上がります。 所が実際テストしてみると、濃縮スープは調理に30分以上時間がかかり、また短期の作戦で使用される特殊レーションに食塩タブレットは不要であるという意見も出されました。 その後1941年7月、試行錯誤の結果、開発サイドは比較テストの為に2種類の試作品を作り、さらに朝昼晩用3タイプのバリエーションも作られました。 これらは野戦を想定した最終試験において満足な結果を出し、、開発者のアンセル・キース博士の頭文字を取り、K-Rationの名称を与えられ、1942年5月、陸軍に採用される事になります。
しかし採用された時点ではまだメニューが確定しておらず、その後もテストは続けられ、終戦を迎えるまでの間、様々なバリエーションが登場しました。
K-Rationの外観
K-Rationは朝、昼、晩のユニットが用意されて、各々93×180×42mmの紙製箱に1食分が収められます。 1食あたりの重量はメニューにもよりますが900g程。 箱は二重構造になっており、外箱には「BREKFAST」「DINNER」「SUPPER」とユニット名が大きく表示されています。 包装も度々変更され、初期の物は薄茶色の厚紙地に直接「U.S.ARMY FILED RATION K」 さらに Breakfast Unit  Dinner Unit  Supper Unit と文字だけが印刷されていましたが、1944年4月頃からカモフラージュ風の模様が入るようになり、一目でユニットを識別できるようになりました。
初期の研究段階では外箱の中と外を二重にビニールで包装したり、上下の蓋が金属製で胴体が繊維製で紐を引くと容易に開けられる外箱を含む、様々な外箱がテストされましたが、結局は単純な厚紙製の箱が採用される事になります。
外箱の内側にもう一つ中箱があり、こちらは簡単な防水ケースになっていて、紙に防水の為の蝋が込ませてあるため水に濡れず、火をつけるととても良く燃え、缶を暖めたり、コーヒーやブイヨンを作るお湯を沸かす燃料にもなりました。
下の写真にあるK-Rationは復刻版ですが、当時のK-Rationを忠実に再現しているので、これを元に箱の解説をしましょう。

独特のデザイン印刷がされた後期型K-Rationのパッケージは、一説では捨てられた箱が上空から偵察に来た敵の目につかないようカモフラージュ効果を狙った物だとされていますが、 このデザインが施される頃には既に、ヨーロッパでも太平洋でも殆どのフィールドで制空権は連合軍側にあり、そのような配慮をする必要は無く、ましてやポケットに収まるくらい小さなK-Rationの箱が、上空数百メートルから発見される可能性はほとんどありません。
(多くの資料に迷彩の為という説明がされていますが、ブレックファーストユニットのデザインはとても迷彩柄とは言えませんし、ディナーユニットの印刷に青色を使うことも迷彩効果を考えれば疑問です。 アメリカ陸軍発行のYANK誌1944年4月21日号にも「ファンシーな新型の箱」と書かれているので、迷彩的な意味は極めて薄い事が分かります。)
 つまり、あくまでユニットを一目で判別するためのデザインでしか無かった訳ですが、なぜこのようなデザインを施す必要があったかと言えば、それは朝、昼、晩食ユニットが一緒に梱包されて現場に届けられていた事が要因です。 具体的には一つの木製大箱に朝、昼、晩食ユニットが各12個ずつ、計36食が一緒に纏められており、このデザインが採用されるまでのK-Rationは同じような見た目だった事から、度々同じユニットが不注意で重複したまま配給されてしまいました。 その場合一日に同じメニューを2回、運が悪いと3回ともまったく同じ物を食べさせられる羽目になったわけです。
大箱の中のK-Rationは立てた状態で詰め込まれていたので、そのようなミスを防ぐ為にも、外箱の両側面にはユニットの頭文字が大きく印字され、一目でそれが何のユニットかも分かるように配慮されていました。
K-Rationの外箱には他にも様々な印刷がされていて、正面(上面)には朝昼晩食ユニット名の他にレーションの種類(Kレーションである事)や 「内箱を開けるときは注意せよ、この箱はタバコやマッチなどを入れる防水ケースとして使用できる。 敵に見つからないように缶や包み紙のゴミは慎重に隠せ。」などの注意が書かれています。
また背面には簡単な内容物の説明と、その食べ方も説明されていました。
 
その他の側面にはパッキングした会社名と、反対側にはマラリア予防の注意書きが書かれていました。「マラリア地区ではシャツを着用し、袖は下げておく事。 日没から日の出の間に外出する際は虫除け薬を使用すること」
  
箱は二重構造になっているので、中からさらに蝋引きの防水コンテナが出てきます。
 

中箱にも大きくユニット名が印刷され、両側面にはユニット名の頭文字も印刷されていました。
あとパッキング会社名の印刷はありますが、注意書き類は中箱にはありません。
K-Rationの中身
K-Rationは一個の缶詰とクラッカー、が基本となり、さらに粉末ドリンク、ガム、キャラメルやチョコレート、タバコなどが組み合わさり1食分を構成しています。  食品は粉末ドリンクを除き、どれもがそのまま食べる事が出来て、缶には缶切りと木製スプーンがそれぞれ付属します。
  

缶は当初四角形の物が入っていたのですが、製造に掛かる手間とロスが多いため、後に丸い缶が使われるようになりました。
缶の開封には切り掻式き缶切りではなく、キーと呼ばれる巻き取り式の缶切り金具が使われ、これは各メニューに一個ずつ入っていました。
(巻き取り式の缶切り金具とは、コンビーフの缶切りと同じ物です。)
  

こちらは実物1944年ごろのK-Rationの中身。 
K-Rationのメニュー
K-Rationのメニューは頻繁に変更が加えられ、手元にある資料だけでも、例えば同じ年式のはずなのに全く違ったメニューが記載されていたりするほどです。 
参考までにメニューを表に纏めて見ました。
年式BREAKFASTDINNERSUPPER
1941年12月デフェンスビスケット
グラハムビスケット
仔牛のランチョンミート
麦芽ミルクブドウ糖タブレット
チューインガム
ブイヨン・チューブ
角砂糖
デフェンスビスケット
グラハムビスケット
ポークランチョンミート
ブドウ糖タブレット
チューインガム
コーヒータブレット
デフェンスビスケット
グラハムビスケット
ソーセージ
D-レーション
(濃縮チョコレート)
チューインガム
レモンパウダー
角砂糖
1942年4月K-1ビスケット
K-2ビスケット
子牛と豚肉のローフ
麦芽ミルクブドウ糖
チューインガム
粉末ブイヨン
角砂糖
K-1ビスケット
K-2ビスケット
アメリカンプロセスチーズ
フルーツバー
チューインガム
粉末コーヒー
角砂糖
K-1ビスケット
K-2ビスケット
豚肉のランチョンローフ
D-レーション
(濃縮チョコレート)
チューインガム
レモンパウダー
角砂糖
1942年8月K-1ビスケット
K-2ビスケット
ミート缶(詳細不明)
麦芽ミルクブドウ糖タブレット
チューインガム
粉末ブイヨン
角砂糖
タバコ4本
K-1ビスケット
K-2ビスケット
チーズ缶(詳細不明)
チューインガム
粉末コーヒー
角砂糖
タバコ4本
K-1ビスケット
K-2ビスケット
ミート缶(詳細不明)
チューインガム
レモンパウダー
角砂糖
タバコ4本
1944年クラッカー
シリアルバー
ハムエッグ
チューインガム
フルーツバー
粉末コーヒー
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパー
クラッカー小2セット
アメリカンプロセスチーズ
チョコレートバー
チューインガム
粉末オレンジorグレープ
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパー
大型クラッカー
ビーフ&ポークローフ
キャラメル
粉末ブイヨン
粉末コーヒー
グラニュー糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパー
1945年混合シリアル
K-1ビスケット
ミート&エッグ
フルーツバー
チューインガム
粉末コーヒー
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパー
K-1ビスケット
K-4ビスケット
K-5ビスケット
(上記のうち2個)
アメリカンプロセスチーズ
チョコレートバー
チューインガム
粉末オレンジorグレープ
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパー
K-1ビスケット
K-4ビスケット
K-5ビスケット
(上記のうち2個)
ミートパテ
キャラメル・ヌガーバー
粉末ブイヨン
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパー
以上の物に加え、缶切りと木製スプーンが付属する。
メニュー表を見て気がついたと思いますが、K-Rationには初期の段階から必ず全メニューにチューインガムが付属します。
実はコレには涙ぐましい裏話が存在し、それは・・
1941年にアメリカが戦争に突入すると、多くの物資が軍需用として政府の統制を受ける事になりました。 そのため多くの民間企業は原料不足のため工場閉鎖や業務縮小を余儀なくされましたが、ガムの大手業者のリグレー社は逆に原料確保と業務拡大のため、なんと陸軍に対し「ガムは戦闘のストレスを解すのに有効である」と宣伝し、陸軍とガムの納入契約を結びました、さらにK-Rationのパッキングを行う契約も取り付け、こうしてK-Rationには1箱に1枚づつのガムが入れられる事になったのです。
K-Rationが廃止されたあとも、新型のMCIに付属するアクセサリーパケットにガムは採用され続け、ご存知のように現在のMREにも、アクセサリーパケットの中にはガムが入っていますね。
噛むと言う行為は実際ストレスを緩和し、唾液の分泌で消化を助け、さらにガムに付けられたミントの成分のおかげで食後の口の中を爽やかにする効果があります。 また多少の歯磨き効果も期待できます。
その為現在では多くの国の戦闘糧食に、ガムは採用されるようになりました。
K-Rationと栄養
コンパクトで、全部食べてもとても満腹にはならないK-Rationですが、朝、昼、晩を合計すると、なんと総カロリーは平均3900K㌍もあり、 肉体労働者の1日に必要なエネルギーは3500Kカロリーと言われていますので、必要な栄養を補充できている事が分かります。 もちろん短期間の使用が目的なので不足する栄養素はありますが、それにしてもタバコやマッチ、ティッシュなどの嵩張る物があの狭いスペースを圧迫しているにも関わらず、このカロリーを提供できるとは立派なもの。 
ちなみに初期の段階で廃止された麦芽ミルクブドウ糖タブレットと、濃縮チョコレートであるD-Ration(Dバー)は、栄養面ではとても優れていましたが不味いと兵士に不人気で、後に市販品のチョコバーやフルーツバー、キャラメルなどに変更されました。
(当時の軍の規則で、麦芽ミルクブドウ糖タブレットは毎日食べる事が義務付けられていましたが、規則違反者は無数にのぼりました)
K-Rationと兵士
K-Rationは当初、空挺部隊用として開発されましたが、その利便性から一般の陸軍兵士の間にも広く支給されるようになりました。 その為第二次大戦中はC-Rationと共に代表的な軍の戦闘糧食として有名になり、映画やTVドラマの第二次大戦モノにも度々登場します。 TV「コンバット!」や、最近では「バンド・オブ・ブラザーズ」でも重要な小物として各所に登場しましたね。 さてこのK-Ration、実際の兵士たちの間ではどのような評価だったのでしょうか?MILITARIA MAGAZINEのJean Boucheryのレポートでは「1944年、第84師団戦闘部隊が前線に向けて通過する際、短い休息の間に何人かのG.I達が5箱分のK-Rationを開けると、箱からタバコだけを抜き取って、大笑いしながら残りの中身をぶちまけたのだった、他のG.I達も同じ行動をしており、堀の中に箱の中身を本当に投げ捨てていたのである」と、書いています。 また他の記述には「元伍長はK-Rationに入っていた合成レモンジュースの粉末を、戦闘中に飯盒を磨くのにうってつけだったと高言していた」とまで書いており、いかによく出来たK-Rationでさえも、兵士たちの間から「恐怖のK-Ration」と陰口を叩かれ、かなり毛嫌いされていた事が良く分かります。  しかしこれは恵まれた米軍兵士だから言えるジョークであり、旧日本軍の体験記には「鹵獲したK-Rationのメニューの豪華さに目を見張った」とか、「捕虜となったあと、米軍から与えられた箱入りの戦闘食を食べているうちにすっかり体調が良くなった」などという記述はそこかしこで見られます。
K-Rationが評価を落とす原因になったのは、本来2,3日の短期間の使用を目的に開発されているにもかかわらず、時には1週間もKレーションが続く事すらあったという間違った使用方法にあります。 太平洋やイタリア戦線のように補給を人やロバに頼らざる得ない地域では、軽量コンパクトなK-Rationの占める割合が多く、結果、ビル・モールディング著「UP FRONT」に書かれている「K-Rationが引き起こしたトラブルの原因はメニューの単調さから来た物だ、確かに必要カロリーやビタミンは含まれているだろうが、満腹するには程遠く、K-Rationを食べるのには忍耐が必要だった」というように、同じ内容の食事ばかりで慢性的な味覚的欲求不満が障害になってしまったわけです。 メニュー表を見れば分かりますが、確かに何度かのメニュー変更はありましたが、基本的にK-Rationのメニューは1種類であり、朝、昼、晩の内容の違いもそれほどはっきり分かれたものでなかった為、直ぐに飽きがきてしまったのでしょう。

1942年頃のK-Ration [size=-1]朝昼晩のユニットも、ほとんど内容に違いは無い。
K-Rationのその後
K-Rationは第二次大戦終結まで使用され続け、ピークである1944年には、1億個を越すKレーションが生産されました。 しかし終戦にかけて、さすがのKレーションもCレーションと同様の在庫過剰と言う結末を迎え、戦後の1946年、陸軍食糧協議会はKレーションの生産打ち切りを提言し、1948年には補給本部技術委員会によって廃止されることとなりました。 その後倉庫の膨大な過剰在庫は、ヨーロッパ等の戦災市民への食糧供与などで処分される事となり こうしてK-Rationの短い歴史は幕を閉じたのです。 
その後勃発した朝鮮戦争でもK-Ration復活はありませんでしたが、 K-Rationの軽量、コンパクト、高カロリーというコンセプトは後にLRRPレーションに受け継がれ、現在に至っているのです。


[size=+2]Ration Type K
Ration Type Kは一般的にK-レーションと呼ばれる、第二次世界大戦で多用された米軍個人携帯用戦闘糧食です。
k-Ration開発の秘密
 第一次世界大戦の教訓から戦場での食に関する研究は各国で進み、アメリカでも陸軍補給部隊研究開発局を中心に様々な研究が行われました。 その結果糧食を配給状況によりA~Dの4区分に分け、A-Rationは基地やキャンプで食べるギャリソンレーション、B-Rationは戦地のフィールド・キッチンで纏めて調理されたり、後方で調理してから運搬された食事、または大型缶詰などグループで分けて食べる食料 C-Rationは戦地で温食の配給が出来ない事を前提として配給される個人向け携帯食料、 D-Rationは携帯性重視の非常食としていました。  第二次大戦はじめ、当時ヨーロッパにおけるドイツ軍の電撃作戦は米軍にも衝撃を与え、軍上層部もこれからの戦闘は機動戦が重要な鍵を握ると考えます。 その頃の個人携帯用戦闘糧食にC-Rationが準備されていたのですが、これは箱詰めされていない6個の缶詰をそのまま支給する物で、重く嵩張るという難点がありました。 そこで迅速に機動展開する兵士たちが自分たちで携帯し、邪魔にならず、必要な栄養を簡単に摂る事が出来るような、C-RationとD-Rationの中間に位置する軽量レーションが求められるようになり、 これがK-Ration開発のきっかけとなりました。 まず軍では開発コンセプトとして 1. 戦闘用レーションで、緊急用レーションとは見なされない事  2. 軽量コンパクトで楽に持ち運べる事  3. 栄養的にバランスが取れていることなど9項目にわたる要件が示されました。  さて、軍の要望を受けたミネソタ大学のサブシスタンス・リサーチ・ラボラトリーは、新型レーションの開発に着手します。 最初は現在のエネルギーバーのような物が考案され、それはビスケット状で、肉やジャムなどを混ぜて固めた「ペミカン」と呼ばれる物でした。 しかしそれはお世辞にも食欲をそそる物ではなく、テストは散々な結果に終わります。 (余談ですが当時、日本でも同じようなコンセプトで、肉入り乾パンなどが作られましたが、これも連食に耐えられる物ではなく、結局採用される事はありませんでした。) 時をおなじくして、当時軍ではパラシュートによる敵地侵攻作戦が考案され、それに伴い空挺部隊が発足します。 敵地奥深くにパラシュート降下した隊員は、降下した後、徒歩での移動が前提なので個人で携帯できる重量に限りがありながら、本隊が到着するまでは持っている装備だけで戦い続けなくてはなりません。 その為おのずと武器弾薬を沢山携帯したい、替わりにその他の装備は出来るだけ少なくしたいと考え、空挺部隊用の特殊軽量レーションの開発が必要となりました。 空挺部隊の要求は空挺服のポケットにすっぽり収まるサイズ(6インチ×2.5インチ×1インチ)以内、そして食塩タブレット、チョコレート、ピーナッツ、レーズン、濃縮スープ、固形ブイヨン、粉末フルーツジュースなどを内容物として入れると言う物でした。 この要望に従い開発を進めていく中で、先ほどのペミカンビスケットに乾燥ソーセージやドライケーキなどを組み合わせた試作品が出来上がります。 所が実際テストしてみると、濃縮スープは調理に30分以上時間がかかり、また短期の作戦で使用される特殊レーションに食塩タブレットは不要であるという意見も出されました。 その後1941年7月、試行錯誤の結果、開発サイドは比較テストの為に2種類の試作品を作り、さらに朝昼晩用3タイプのバリエーションも作られました。 これらは野戦を想定した最終試験において満足な結果を出し、、開発者のアンセル・キース博士の頭文字を取り、K-Rationの名称を与えられ、1942年5月、陸軍に採用される事になります。
しかし採用された時点ではまだメニューが確定しておらず、その後もテストは続けられ、終戦を迎えるまでの間、様々なバリエーションが登場しました。
K-Rationの外観
K-Rationは朝、昼、晩のユニットが用意されて、各々93×180×42mmの紙製箱に1食分が収められます。 1食あたりの重量はメニューにもよりますが900g程。 箱は二重構造になっており、外箱には「BREKFAST」「DINNER」「SUPPER」とユニット名が大きく表示されています。 包装も度々変更され、初期の物は薄茶色の厚紙地に直接「U.S.ARMY FILED RATION K」 さらに Breakfast Unit  Dinner Unit  Supper Unit と文字だけが印刷されていましたが、1944年4月頃からカモフラージュ風の模様が入るようになり、一目でユニットを識別できるようになりました。
初期の研究段階では外箱の中と外を二重にビニールで包装したり、上下の蓋が金属製で胴体が繊維製で紐を引くと容易に開けられる外箱を含む、様々な外箱がテストされましたが、結局は単純な厚紙製の箱が採用される事になります。
外箱の内側にもう一つ中箱があり、こちらは簡単な防水ケースになっていて、紙に防水の為の蝋が込ませてあるため水に濡れず、火をつけるととても良く燃え、缶を暖めたり、コーヒーやブイヨンを作るお湯を沸かす燃料にもなりました。
下の写真にあるK-Rationは復刻版ですが、当時のK-Rationを忠実に再現しているので、これを元に箱の解説をしましょう。

独特のデザイン印刷がされた後期型K-Rationのパッケージは、一説では捨てられた箱が上空から偵察に来た敵の目につかないようカモフラージュ効果を狙った物だとされていますが、 このデザインが施される頃には既に、ヨーロッパでも太平洋でも殆どのフィールドで制空権は連合軍側にあり、そのような配慮をする必要は無く、ましてやポケットに収まるくらい小さなK-Rationの箱が、上空数百メートルから発見される可能性はほとんどありません。
(多くの資料に迷彩の為という説明がされていますが、ブレックファーストユニットのデザインはとても迷彩柄とは言えませんし、ディナーユニットの印刷に青色を使うことも迷彩効果を考えれば疑問です。 アメリカ陸軍発行のYANK誌1944年4月21日号にも「ファンシーな新型の箱」と書かれているので、迷彩的な意味は極めて薄い事が分かります。)
 つまり、あくまでユニットを一目で判別するためのデザインでしか無かった訳ですが、なぜこのようなデザインを施す必要があったかと言えば、それは朝、昼、晩食ユニットが一緒に梱包されて現場に届けられていた事が要因です。 具体的には一つの木製大箱に朝、昼、晩食ユニットが各12個ずつ、計36食が一緒に纏められており、このデザインが採用されるまでのK-Rationは同じような見た目だった事から、度々同じユニットが不注意で重複したまま配給されてしまいました。 その場合一日に同じメニューを2回、運が悪いと3回ともまったく同じ物を食べさせられる羽目になったわけです。
大箱の中のK-Rationは立てた状態で詰め込まれていたので、そのようなミスを防ぐ為にも、外箱の両側面にはユニットの頭文字が大きく印字され、一目でそれが何のユニットかも分かるように配慮されていました。
K-Rationの外箱には他にも様々な印刷がされていて、正面(上面)には朝昼晩食ユニット名の他にレーションの種類(Kレーションである事)や 「内箱を開けるときは注意せよ、この箱はタバコやマッチなどを入れる防水ケースとして使用できる。 敵に見つからないように缶や包み紙のゴミは慎重に隠せ。」などの注意が書かれています。
また背面には簡単な内容物の説明と、その食べ方も説明されていました。
 
その他の側面にはパッキングした会社名と、反対側にはマラリア予防の注意書きが書かれていました。「マラリア地区ではシャツを着用し、袖は下げておく事。 日没から日の出の間に外出する際は虫除け薬を使用すること」
  
箱は二重構造になっているので、中からさらに蝋引きの防水コンテナが出てきます。
 

中箱にも大きくユニット名が印刷され、両側面にはユニット名の頭文字も印刷されていました。
あとパッキング会社名の印刷はありますが、注意書き類は中箱にはありません。
K-Rationの中身
K-Rationは一個の缶詰とクラッカー、が基本となり、さらに粉末ドリンク、ガム、キャラメルやチョコレート、タバコなどが組み合わさり1食分を構成しています。  食品は粉末ドリンクを除き、どれもがそのまま食べる事が出来て、缶には缶切りと木製スプーンがそれぞれ付属します。
  

缶は当初四角形の物が入っていたのですが、製造に掛かる手間とロスが多いため、後に丸い缶が使われるようになりました。
缶の開封には切り掻式き缶切りではなく、キーと呼ばれる巻き取り式の缶切り金具が使われ、これは各メニューに一個ずつ入っていました。
(巻き取り式の缶切り金具とは、コンビーフの缶切りと同じ物です。)  

こちらは実物1944年ごろのK-Rationの中身。 
K-Rationのメニュー
K-Rationのメニューは頻繁に変更が加えられ、手元にある資料だけでも、例えば同じ年式のはずなのに全く違ったメニューが記載されていたりするほどです。 
参考までにメニューを表に纏めて見ました。
年式BREAKFASTDINNERSUPPER1941年12月デフェンスビスケット
グラハムビスケット
仔牛のランチョンミート
麦芽ミルクブドウ糖タブレット
チューインガム
ブイヨン・チューブ
角砂糖デフェンスビスケット
グラハムビスケット
ポークランチョンミート
ブドウ糖タブレット
チューインガム
コーヒータブレットデフェンスビスケット
グラハムビスケット
ソーセージ
D-レーション
(濃縮チョコレート)
チューインガム
レモンパウダー
角砂糖1942年4月K-1ビスケット
K-2ビスケット
子牛と豚肉のローフ
麦芽ミルクブドウ糖
チューインガム
粉末ブイヨン
角砂糖K-1ビスケット
K-2ビスケット
アメリカンプロセスチーズ
フルーツバー
チューインガム
粉末コーヒー
角砂糖K-1ビスケット
K-2ビスケット
豚肉のランチョンローフ
D-レーション
(濃縮チョコレート)
チューインガム
レモンパウダー
角砂糖1942年8月K-1ビスケット
K-2ビスケット
ミート缶(詳細不明)
麦芽ミルクブドウ糖タブレット
チューインガム
粉末ブイヨン
角砂糖
タバコ4本K-1ビスケット
K-2ビスケット
チーズ缶(詳細不明)
チューインガム
粉末コーヒー
角砂糖
タバコ4本K-1ビスケット
K-2ビスケット
ミート缶(詳細不明)
チューインガム
レモンパウダー
角砂糖
タバコ4本1944年クラッカー
シリアルバー
ハムエッグ
チューインガム
フルーツバー
粉末コーヒー
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパークラッカー小2セット
アメリカンプロセスチーズ
チョコレートバー
チューインガム
粉末オレンジorグレープ
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパー大型クラッカー
ビーフ&ポークローフ
キャラメル
粉末ブイヨン
粉末コーヒー
グラニュー糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパー
1945年混合シリアル
K-1ビスケット
ミート&エッグ
フルーツバー
チューインガム
粉末コーヒー
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパーK-1ビスケット
K-4ビスケット
K-5ビスケット
(上記のうち2個)
アメリカンプロセスチーズ
チョコレートバー
チューインガム
粉末オレンジorグレープ
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパーK-1ビスケット
K-4ビスケット
K-5ビスケット
(上記のうち2個)
ミートパテ
キャラメル・ヌガーバー
粉末ブイヨン
角砂糖
タバコ4本
マッチ
トイレットペーパー以上の物に加え、缶切りと木製スプーンが付属する。
メニュー表を見て気がついたと思いますが、K-Rationには初期の段階から必ず全メニューにチューインガムが付属します。
実はコレには涙ぐましい裏話が存在し、それは・・
1941年にアメリカが戦争に突入すると、多くの物資が軍需用として政府の統制を受ける事になりました。 そのため多くの民間企業は原料不足のため工場閉鎖や業務縮小を余儀なくされましたが、ガムの大手業者のリグレー社は逆に原料確保と業務拡大のため、なんと陸軍に対し「ガムは戦闘のストレスを解すのに有効である」と宣伝し、陸軍とガムの納入契約を結びました、さらにK-Rationのパッキングを行う契約も取り付け、こうしてK-Rationには1箱に1枚づつのガムが入れられる事になったのです。
K-Rationが廃止されたあとも、新型のMCIに付属するアクセサリーパケットにガムは採用され続け、ご存知のように現在のMREにも、アクセサリーパケットの中にはガムが入っていますね。
噛むと言う行為は実際ストレスを緩和し、唾液の分泌で消化を助け、さらにガムに付けられたミントの成分のおかげで食後の口の中を爽やかにする効果があります。 また多少の歯磨き効果も期待できます。
その為現在では多くの国の戦闘糧食に、ガムは採用されるようになりました。
K-Rationと栄養
コンパクトで、全部食べてもとても満腹にはならないK-Rationですが、朝、昼、晩を合計すると、なんと総カロリーは平均3900K㌍もあり、 肉体労働者の1日に必要なエネルギーは3500Kカロリーと言われていますので、必要な栄養を補充できている事が分かります。 もちろん短期間の使用が目的なので不足する栄養素はありますが、それにしてもタバコやマッチ、ティッシュなどの嵩張る物があの狭いスペースを圧迫しているにも関わらず、このカロリーを提供できるとは立派なもの。 
ちなみに初期の段階で廃止された麦芽ミルクブドウ糖タブレットと、濃縮チョコレートであるD-Ration(Dバー)は、栄養面ではとても優れていましたが不味いと兵士に不人気で、後に市販品のチョコバーやフルーツバー、キャラメルなどに変更されました。
(当時の軍の規則で、麦芽ミルクブドウ糖タブレットは毎日食べる事が義務付けられていましたが、規則違反者は無数にのぼりました)
K-Rationと兵士
K-Rationは当初、空挺部隊用として開発されましたが、その利便性から一般の陸軍兵士の間にも広く支給されるようになりました。 その為第二次大戦中はC-Rationと共に代表的な軍の戦闘糧食として有名になり、映画やTVドラマの第二次大戦モノにも度々登場します。 TV「コンバット!」や、最近では「バンド・オブ・ブラザーズ」でも重要な小物として各所に登場しましたね。 さてこのK-Ration、実際の兵士たちの間ではどのような評価だったのでしょうか?MILITARIA MAGAZINEのJean Boucheryのレポートでは「1944年、第84師団戦闘部隊が前線に向けて通過する際、短い休息の間に何人かのG.I達が5箱分のK-Rationを開けると、箱からタバコだけを抜き取って、大笑いしながら残りの中身をぶちまけたのだった、他のG.I達も同じ行動をしており、堀の中に箱の中身を本当に投げ捨てていたのである」と、書いています。 また他の記述には「元伍長はK-Rationに入っていた合成レモンジュースの粉末を、戦闘中に飯盒を磨くのにうってつけだったと高言していた」とまで書いており、いかによく出来たK-Rationでさえも、兵士たちの間から「恐怖のK-Ration」と陰口を叩かれ、かなり毛嫌いされていた事が良く分かります。  しかしこれは恵まれた米軍兵士だから言えるジョークであり、旧日本軍の体験記には「鹵獲したK-Rationのメニューの豪華さに目を見張った」とか、「捕虜となったあと、米軍から与えられた箱入りの戦闘食を食べているうちにすっかり体調が良くなった」などという記述はそこかしこで見られます。
K-Rationが評価を落とす原因になったのは、本来2,3日の短期間の使用を目的に開発されているにもかかわらず、時には1週間もKレーションが続く事すらあったという間違った使用方法にあります。 太平洋やイタリア戦線のように補給を人やロバに頼らざる得ない地域では、軽量コンパクトなK-Rationの占める割合が多く、結果、ビル・モールディング著「UP FRONT」に書かれている「K-Rationが引き起こしたトラブルの原因はメニューの単調さから来た物だ、確かに必要カロリーやビタミンは含まれているだろうが、満腹するには程遠く、K-Rationを食べるのには忍耐が必要だった」というように、同じ内容の食事ばかりで慢性的な味覚的欲求不満が障害になってしまったわけです。 メニュー表を見れば分かりますが、確かに何度かのメニュー変更はありましたが、基本的にK-Rationのメニューは1種類であり、朝、昼、晩の内容の違いもそれほどはっきり分かれたものでなかった為、直ぐに飽きがきてしまったのでしょう。

1942年頃のK-Ration [size=-1]朝昼晩のユニットも、ほとんど内容に違いは無い。
K-Rationのその後
K-Rationは第二次大戦終結まで使用され続け、ピークである1944年には、1億個を越すKレーションが生産されました。 しかし終戦にかけて、さすがのKレーションもCレーションと同様の在庫過剰と言う結末を迎え、戦後の1946年、陸軍食糧協議会はKレーションの生産打ち切りを提言し、1948年には補給本部技術委員会によって廃止されることとなりました。 その後倉庫の膨大な過剰在庫は、ヨーロッパ等の戦災市民への食糧供与などで処分される事となり こうしてK-Rationの短い歴史は幕を閉じたのです。 
その後勃発した朝鮮戦争でもK-Ration復活はありませんでしたが、 K-Rationの軽量、コンパクト、高カロリーというコンセプトは後にLRRPレーションに受け継がれ、現在に至っているのです。


LATE WAR K-RATION CARMEL BOX (Click on thumbnail to see larger image!)

Late War Carmel Box
Used in the late war, full color ("morale boxes") versions of the K-Ration, these boxes also came packed in the accessories packages inside selected meals of the K-Ration and contained carmels. You get 2 boxes on an 8 1/2" x 11" sheet of cardboard laidout and ready to be cut, scored, folded and glued into a completed box. Includes complete assembly instructions, diagrams, information on foodstuffs required and an illustrated guide for its packaging in the late war K Ration. You need to have purchased the "Make Your Own K-Ration Instructions Kit" to make full use of this product.
乾パン特集
写真左側がI型で、この乾パン1袋にこんぺいとうとオレンジスプレッドチューブ、ソーセージ缶1缶がセットで支給されています。

番外編ですが、これは航空自衛隊救難非常食、通称「ガンバレ食」です。
なぜ?ガンバレ食と言われるのかというと、写真左側の白い紙に「がんばれ!元気を出せ!救助は必ずやってくる!」と書かれていて、精神的にも、肉体的にも遭難者を支えるための食料だからです。
大きな四角いパックは、穀類を主体としたクッキーのようなもので、小さいパックはゼリーです。
この二つで1食分とし(64g)総カロリーはなんと270カロリーあります。
(これは高校時代、文化祭に自衛隊の広報の方が来ていて、試食用に持ってきていたのを頂きました。)
こちらは海上自衛隊の非常食で、中身は航空自衛隊のものと同じ物が使われています。


今回入手した喫職試験用 個人用軽量型は、ドリンクやスープ類を除き、全て開封してそのまま食べられる食品ばかりで構成されている事が特徴だ。 温める事すら必要が無く、軽量コンパクトな割りに高カロリーである。 構成を見ると、クッキーが2種類あったり、パンやラスクという被る組み合わせがあるところから見て、1パックで一食分というより、行動しながら、もしくは小休止のときに少しづつ、半日くらいかけてゆっくり食べられるようになっている物と思われる。 その証拠に、どれも汁が垂れたり食器が無ければ食べられない物はなく、行動食として考えられているものばかりだ。 これは非常に重要な事で、食事の為の時間を作らなくても良いし、常に少しづつ胃に何か入れておけば、空腹を感じる事も無い。また満腹になると人間は眠くなったり、思考力が落ちるといわれる。これは消化のために血液が胃に集中し、脳の酸素不足が起こるからだ。 さらに満腹時は行動が緩慢になるし、腹に一発喰らった時、胃に食べ物が入っていない時のほうが生存率が高いといわれる。
アメリカ軍のLRPはフリーズドライ食なので、軽量だが調理に手間と時間が掛かるし、調理後は一気に食べなくてはならない。また袋に入ったものをスプーンで食べるので、歩きながらの喫食も難しい。その為わざわざFSRという特殊な行動食を開発し、最近やっと実戦配備を始めたのだが、この個人用軽量型は、その最新のFSRに通じる物がある。
確かに現在コレに似たような「クラッカー食」というものもあるが、あれは1食分の定量として構成されているものだ。 ハムだけを食べるには塩辛いし、クラッカーだけでは味気なく、一緒に食べる事を前提としているので、数時間かけて少しづつ消費するというのには向かないのだ。 その点この個人用軽量型はそれだけで食べる事が出来、1パックの中にもバリエーションがあるので飽きない。 またハムステーキは汁が多く、歩きながら喫食に向かない。 

この喫食試験が行われたのが2004年ごろなので、ソロソロ正式採用された個人用軽量型糧食が登場する頃かも知れ無い。
どんな物が入っているのか? メニューバリエーションがどのくらい用意されるか?色々と気になる所だ。


 この個人用軽量型レーションに関する情報をお待ちしています。 特に自衛隊員の皆様!宜しくお願いします。



中国との緊張関係が続き、常に高い防衛体制を整えている台湾軍では、一体どんな戦闘糧食を準備しているのだろうか? 専守防衛体制で、それほど広い国土ではない台湾は長距離を移動する事も無く、ゆえに食糧補給に関しては常に温食を供給する事が可能である。 そのため個人用の戦闘糧食にそれほど凝った物を用意する必要も無いようで、現在台湾で使用されているのが見ての通り非常に軽量、コンパクトなこの野戦口糧と缶詰食だ。ただし缶詰食は基本的に個人用ではなく、数人で分け合って食べる比較的大きな缶詰である。 つまり個人用としてはA式およびC式と呼ばれる軽量野戦口糧しか現在は用意されていないらしい。 昔は米軍のMCIに似た缶詰で構成された個人用携帯レーションをちゃんと用意していたようだが、中国の食文化は基本的に冷えた物は口にしないため缶詰食は評判が悪く、現在では出来るだけ温食を配給し、どうしても温食が配給できないときの非常食と割り切った簡素な物になっている。 それでは各々のレーションについて見てみよう。軍用 野戦口糧A式&C式

[size=+1]國軍 軍用缶詰類

[size=+1]民間用 野戦口糧A式
[size=+1]軍用 野戦口糧
台湾軍野戦口糧のパッケージ
サイズはおおよそ8.5cm×16.5cm×5.2cmで、重量は260gと軽量だが、薄いアルミの外装で非常に華奢である。 一応薄いプラスティック?の保護材に中身は収められているが、気休め程度と言うか、少し力を入れれば簡単に中身を粉々にする事も可能。 ただし中には一切汁気のあるものは含まれていない為、漏れて困る事も無いだろう。
もともと使い捨ての軍用品にはこの位の割り切りは必要なのかもしれない。(無駄にパッケージにこだわると、ゴミが増えるし重量も嵩むだろうし)
パッケージ側面には、内容物の容量や、簡単な食べ方の指南が書かれている。[size=+1]内容物の構成

ビスケット
ビスケットは全部で14枚入っている。 甘味が強いマリービスケットのようなタイプで、口当たりは良いが、連食すると飽きてくるかもしれない。 この糧食の中で唯一お腹に溜まるのがこのビスケットなのだが、甘味と膨張感で満腹感を得るといった感じなので、暫くすると直ぐにお腹がすいてくる。

ジャム
ジャムはA式にはオレンジ、B式にはストロベリー風味のパック入り10gが1本づつ付いてくる。 ビスケットの量からすると少ないように感じるが、もともとビスケットに甘みが付いているので、ビスケットの味に飽きて味覚を変えたいときに使う物だろう。
乾燥肉
中華風な味付けがされた乾燥肉は、この小さな袋におよそ10gしか入っていないのだが、甘み続きで塩気が欲しいとき、唯一頼りになるのがこの乾燥肉なのだ。 カリカリに乾燥してあるので非常に軽い。しかし思ったほど硬くなく、噛締めているとだんだん肉の食感がよみがえってくる。 実はかなり美味い。
シリアル
シリアルパックは10gづつわざわざ蓋袋に分けてあるのが特徴だ。(二袋で合計20g) 民間パッケージのようであるが、製造元を見ると国軍退役 製造となっており一応軍の関連施設で作られていると言う事がわかる。
砂糖と粉末ミルクが混ぜられており、水を注ぐだけでOK。  シリアル本体は小粒だが、パリポリした食感が小気味よくミルクの味もシリアルの味も悪くない。 ただこれも量が少ないのが難点か?
ドリンク
A式にはココア、C式には珈琲が付属する。  1パック100ml程度のお湯にといて飲むのだが、珈琲にも初めから砂糖が加えられており、甘い食事に加えて否応無しに甘いドリンクを飲まされる事になる。 
甘味
A式、C式共に生姜風味のキャンディーが4粒づつ付属する。  非常にクセのある味だが、慣れてくると独特の辛味が癖になり、病み付きになるだろう。
この糧食を口にする状況と言うのは、温食の供給が受けられず。小隊単位で食べる缶詰食も無くなった場合の非常食と言った位置付けであろうから、普段は背嚢の隅にでも入れておき、暫く配給が無い場合に初めて口にする物なのだろう。  その為限り無く簡素化され、軽量コンパクトにされたと言うのもうなずける。 もしくは自衛隊の乾パン食およびクラッカー食のように、緊急出動の際に配られるのか? どちらにしろオヤツのような内容であるこの野戦口糧を常時喫食しているとはとても思えない。
このあたりは台湾の軍人さんに詳しく聞いてみたいところでもあります。  信息求!
追加情報

台湾軍 野戦口糧は、2005年頃より、新型パッケージに変更になりました。

今までの物より光沢や緑の彩度が抑えられ、より視認性が低くなったようです。
書式も左読みになり、マークもラクダに稲穂をあしらった物に変わりました。華奢なパッケージはそのままですが、個人に配給されるまでは丈夫なスチール缶に入れられて運ばれるので、問題は無いようです。
写真提供 S.H LIN (Howard)中身については、また近いうちに紹介する予定ですが、写真がありますのでご紹介します。


写真提供 S.H LIN (Howard)

基本的な構成は変わらず、パッケージデザインが少し変わったようです。



また追加情報があればお知らせいたします。
注、フクシマフーズとは東洋水産グループで、 市販品では「マルちゃん」ブランドのパック飯と同じものです。
副食パック 名称納入業者ビーフカレー丸紅株式会社ハンバーグ丸紅株式会社フランクフルト国分株式会社チキンステーキ日本ハム株式会社中華丼株式会社ボムス中華風肉団子日本ハム株式会社酢豚国分株式会社牛丼日本ハム株式会社やきとり国分株式会社鮭塩焼き丸紅株式会社鯖生姜煮丸紅株式会社筑前煮丸紅株式会社マグロステーキ国分株式会社


イラクにて、食糧戦闘用2型を喫食する韓国軍将兵
朝鮮半島は今なお緊張状態が続いている。 未だ休戦状態をかろうじて保ち続けているだけの不安定な状態であり、南、つまり韓国側は準戦時体制を保ち続けているのである。 そのため国民には徴兵が義務付けられており、ある年齢以上の男性は特別の事情がない限り、一度は軍隊のメシを、文字通り食っているのである。
さて我々は彼らの、特に食について色々と調べてみようと思う。

韓国戦闘糧食の歴史
朝鮮半島が日本の敗戦によりアメリカとソビエトに接収されてから、両大国の利害によって南北に分断され、 南側は1948年大韓民国を正統国家としてし宣言し、自国防衛の為、韓国国軍を創設した。 韓国に軍隊が生まれた時、韓国の戦闘糧食の歴史もそこから始まった訳だが、もちろんはじめからシステマティックな戦闘糧食が用意されていたわけではない。 
建国間もない1950年、朝鮮騒乱が起こる。 その時代を描いた映画「ブラザーフット」をご覧になった人も多いと思うが、劇中で食事を摂るシーンが度々映し出され、その時食べている物を観察すると、旧日本軍の影響からか、握り飯や乾パンを食べているシーンがあったのに気が付いただろうか?  もともと日本統治以前は中国の属国であった朝鮮では、炊いた米を手で握り、手づかみで食べる習慣は無かったので、コレは間違いなく日本の食文化の影響であろう。(ちなみに中国大陸で日本軍と戦った国民党軍や八路軍の指揮官は、冷えたメシを文句も言わずに食べる日本将兵がうらやましかったと言う) 乾パンは言うまでも無く日本の川島主計少将が考案した、日本独自の戦闘糧食だったが、民間でも緊急時の非常食として広く普及していたし、日本統治時代は日本人として軍務に就いていた者も多く、乾パンの有用性を認めそのまま利用したと思われる。
ただし、冬は厳寒地である朝鮮半島は、握り飯は数時間で凍ってしまい食べられなくなり、また山岳部の多い朝鮮半島では、調理した食事を前線まで運ぶのも一苦労であったため、国連軍が本格的に介入するようになってからは、米軍から供与された戦闘糧食を利用することも多かった。 当時米軍で使われていた戦闘糧食は、大戦中に使用されていたC-Rationを発展させたRation Individual Combat ↓や、

  

Food Packet Individual Assault↓であった。 

  

前者は一日分を1箱に詰めたもので、7個の缶詰とドリンクパックおよびアクセサリーとしてスプーンやタバコが豊富に入っていたが、重さはおよそ3Kgもあった。 後者はK-Ration廃止後に代わりとして採用された、1食分をパッキングしたコンパクトレーションだ。 
(後にMCIとして発展)
しかし、戦闘状態が長引くと、米軍の備蓄分だけでは足りなくなって来た。
不足分をアメリカ本国から送っていたのでは製造コストや運送コストが高くつくし、届くまで時間も掛かる。 そこで足りない分は日本で作られることとなたのだが、事は急を要する事態である。 米軍の決められたスペック通り作る訳にもいかないので、簡易レーションで間に合わせる事になるのだが、 特に韓国軍向けに支給する糧食は米軍将兵用とは分けられ、アクセサリーは省略され、パッキングも紙袋で簡略化された物が作られた。(もちろん米軍の指示である) つまりこの簡易パックレーションが、初の韓国軍用レーションと言えるのではないだろうか。

韓国戦争記念館パンフレットより

しかしいくら韓国軍向けと言っても、これらはクラッカーやランチョンミートなど欧米の食事を基にしているため、アジア人には連食がきつく、本格的な韓国軍向けレーションが必要となってきた。 そこで韓国人の食文化を考慮した戦闘糧食の準備を進めていたのだが、韓国向け糧食が出来上がる頃、北側との休戦協定が結ばれたために、この新型韓国人向けレーションは殆ど出回ることは無かった。

結局その後は休戦ラインに沿って頑強な陣地が設けられ、温食を給食できる体制が整えられた事もあり、携帯用戦闘糧食のニーズは減り、軍備増強が最優先であった故、その後も特に力を入れて韓国人向け戦闘糧食の開発もされることが無かったようだ。


韓国人向け戦闘糧食が再び渇望されるようになったのは、それから十数年後。 
韓国国内に米軍が駐留し、北の侵攻の抑止力になってもらっている立場上、米政府の要請によるベトナムへの派兵を断ることも出来ず、1965年3月、韓国は工兵隊をベトナムに派遣。 その後米軍の更なる圧力と南ベトナム政府の要請で、本格的戦闘部隊である韓国海兵隊第二師団が同年10月にベトナムの地を踏んだ。
もちろんベトナム派兵は米軍の要請であったこともあり、多くの物資(武器弾薬燃料食料)は米軍から支給された。
しかし駐屯地で食べる、自前で調理された温食はまだ良しとしても、米軍がそのまま供与した戦闘糧食であるMeal Combat Individualだけは、韓国軍将兵も耐えられなかった。

韓国戦争記念館展示品

ハングルの記載らしき文字が見える、謎のMCIレーション?

 しかもそのMCIすら供与されないこともあり、時にはギャリソンレーションであるA-Rationが支給されることもあったのだ。 A-Rationとは駐屯地やフィールドキッチンで調理することが前提の、冷凍肉や乾燥野菜など、所謂「材料」であるため、そのままでは食べることが出来ない。 これに怒った韓国軍代表団長が韓米軍需支援司令部会議にて強く問題解決を求め、後にそのような問題はなくなったが、それでもMCIが韓国軍の口に合わないと言う問題は、その後二年も解決されないままであった。
すでに長期間ベトナムで戦ってきた将兵の多くは、故郷の味であるキムチや味噌の味を渇望したが、もともと温帯~寒冷地の発酵食品であるキムチは、亜熱帯気候であるベトナムにおいては発酵が進みすぎてしまうため、たとえ缶詰に加工したとしても直ぐに缶が破裂してしまい、保存が難しかった。
そこで1967年、時の韓国大統領である朴正照はアメリカ大統領ジョンソンに親書を送り、韓国軍の士気向上のため、韓国軍向け戦闘糧食を開発するように要請した。
早速ハワイにある米軍の食品研究所で、韓国食品を長期保存させる研究が進められ、加熱加圧により発酵を止めつつ、食品の食感や風味を損なわないようにした韓国軍向け戦闘糧食が開発された。 これが有名なK-Rationである。
もちろん第二次大戦で使用された空挺部隊用レーションとは全く別物の、 KはKOREAの略であるが、将兵は親しみを込めて「KIMUCHI RATION」と呼んだ。

韓国戦争記念館展示品

基本的な構成は麦飯を主食に、キムチ、コチュジャン(辛みそ) 肉や魚の煮付け、和え物、人参茶、アクセサリーなどが組み合わされ、K-1からK-6まで用意されていた。
しかし製造量はあまり多くなかったらしく(後に製造は韓国国内で行われた為)、いつもK-Rationばかりとはいかなかったので、MCIとK-Rationを交互に組み合わせたり、A-Rationの材料をうまく使い、状況が許すときは弾薬箱を鍋代わりにして、キムチ鍋などにして食べていたと言う。
MCIに飽きていたのは米軍将兵も同様だったので、このキムチ鍋でトレンチパーティーも度々開かれたそうだ。

ベトナム戦争以降、国内の経済も徐々に安定しだし、産業の発展とともに自前での戦闘糧食開発も可能となったため、缶詰主体の戦闘糧食を国内で生産するようになった。 それにより、より韓国人の味覚に合った戦闘糧食を提供できるようになったが、80年代に入り、米軍は缶詰で構成されたMCIから軽量なレトルトパウチやフリーズドライを使用したMREへと戦闘糧食の形を変えた。 欧米人に比べて体格の劣るアジア人にとって、重くて嵩張る缶詰式戦闘糧食は不便であった事は想像に難くなく、韓国軍でもレトルトパウチ食を利用した(食糧 戦闘用1型)が1982年に登場した。 これはMREが採用された年とほぼ同じである。

80年代後半になると、α米式の(食糧 戦闘用2型)が登場する。 これは市販品タイプも国内で売られているほど評判が良くく、「オマエラ軍隊シッテルカ」という、韓国徴兵生活を綴った本の中にも登場し、筆者も「これは美味かった」と懐述している。

 1990年代の 食糧 戦闘用 2型パッケージ
韓国軍の主戦場は国内である。 それほど広くは無い国土を防衛するのには、要所要所に見張り所を建て、そこから出勤警備するのが一番効率がよく、食事も温食の供給が可能であった。 そのためわざわざ高価で味の劣る戦闘糧食を使うことも少なく、年に数回ほどしか戦闘糧食は配給されなかったと言う。 但し、これは徴兵で行った人の話なので、志願兵として入る海兵隊などでは、戦闘糧食ばかりでうんざりしたと言う話もあるが。(実際、部隊により支給される食事の内容は違う) 
韓国軍の運搬食(温食)
また特戦司令部所属の特殊部隊員には、特殊戦闘糧食が与えられる事があり、これは3食ほぼ同じ内容の味気ない高カロリービスケットが主体のレーションである為、これを3日も食べさせられると、本当に気が狂いそうになると言う元特戦司令部所属の特殊部隊員の証言もある。
そしてそのビスケットは、まるで煉瓦のようだと・・・
さて、実際に韓国軍のレーションを、詳しく見てみることにしよう。
(見たい糧食の写真をクリック)



食糧 戦闘用1型 新Type


食糧 戦闘用1型 旧Type

戦闘糧食2型

乾パン

特殊部隊用の軽量レーション

現在、北、つまり朝鮮民主主義人民共和国では、民主主義とは名ばかりの絶対君主制度における間違った政策のため、工業は立ち遅れ、農業は無理な連作や密集農法により、最初は収穫が良かったものの、土地を駄目にしてしまった。 さらに山を丸裸にして農地にしてしまったために洪水が頻繁に起こった。 最も悪いことは主体思想の間違った解釈により鎖国に近い政策を実践し、他国との協力関係を築いてこなかったために、経済は困窮し、国家は崩壊寸前である。 それでも何とか体制を維持しているのは徹底した恐怖政治と、外部の情報を一歳遮断し、金一族を神格化したマインドコントロールによる教育成果の賜物である。 個人では何も考えない盲目従順な国民は、金一族のために喜んで(対外的なポーズだとしても)その命をささげる事だろう。 金体制が維持できなくなったとき、最後は玉砕覚悟の総攻撃を仕掛けてくることを、誰が「ありえない話だ」と、一笑に付すことが出来るであろうか。

  
HALAL メニューNo.4
自衛隊の戦闘糧食は、おかずパックと米パックが別になっていて、米パックのみ加熱された状態で配給出来るようになっています。
一度加熱された米パックは、相当寒い地域を除き、2~3日は柔らかさを保っているので、冷えてもそこそこ食べることが出来るのですが、MREのようにパッケージの中に米パックが一緒に入っている場合、一度開封しないと取り出ないので、自衛隊のように米類だけ別に温めて配給することが出来ません。
つまり食べる直前に自分でなんとか温めないと美味しくない訳です。
本物のメキシカンライスを食べたことないので比べることは出来ませんが、見た目の感じとしてはドライカレーみたいですね。
ご飯にコーンなどの野菜類がまざって、大きな唐辛子の皮もちらほら見えています。
カレー味はしませんがピリッと辛く、お米も芯はありませんので、しっかり温めれば普通に食べることが出来ました。
量的には自衛隊の缶飯の半分くらい。お米が食べられなかった人のため??ではないでしょうが、クラッカーもありますので、付属のピーナッツバターを乗せて食べてみます。
クラッカーは薄焼きで、市販品のような余分な味は一切ついてないため、ジャムにもシチューにもなんにでも合わせることが出来ます。
ピーナッツバターは市販品と変わらず、これも余分な味付けは一切されていないので、ピーナッツ本来の味が楽しめます。
(甘いピーナッツクリームではありません。)
しかし味は悪くないのですが、べっとりと絡まるピーナッツバターが、まるで粘着材のように口の中まとわりつき、さらにぱさぱさのクラッカーも一緒になって、水気が無いとなかなか飲み込めません。そこで用意されているのが粉末ジュース、約300ccの量が1袋で出来あがります。
今回入っていたのはチェリー風味のジュースで、日本人には抵抗ある毒々しい赤色をしているのためいかにも体に悪そうですが、ミルスペックをパスしてるのだからと信用することにしました。
味は思ったほどしつこくも無く、割とさっぱりしていますが、合成チェリー味?は日本人には馴染みの無い味ですので、他のものに例えることも出来ません。
クラッカーを飲み込むたびに一緒に流し込んでいたので、結構量があるなと思いながらも全部飲んでしまいました。
ステーキに何故これを合わせるのか?不思議ですが、ビーフジャーキーも入っていました。
いわゆる肉片を干したものがお馴染みですが、ココに入っていたものはどちらかというとサラミソーセージのようなものでした。
ただしサラミのような脂肪の粒は入ってませんし、味はビーフジャーキーのそれです。
どうやらしょうゆを味付けに使っているようですが、異常にしょうゆ辛いので、噛めばかむほど肉の味がするのではなく、しょうゆの味が染み出してきます。
干すと味が濃くなることを計算していなかったのかと疑いたくなるのですが、どうやらパッケージは市販品の物のようですし、こういう味付けが彼らはお好みなのかもしれませんね。
米軍が公開しているメニュー表には記載されていませんでしたが、チョコ風味のキャラメルのようなものが2本も入っていました。
やわらかくて、噛むと歯にひっつくのが玉に傷。
(結構あまーい)結局付属の調味料は使いませんでしたが、全体に濃い味付けですので、発汗が激しい場合を除きあまり使うことはないのでは?

総評としてインスタント物としては良く出来た方ではないでしょうか?

特にこれは食べられない!というものもなかったし、栄養は十分(偏ってはいますが)採れるはずです。
MREは不味くて食べられないと良く聞いていたので、意外と美味しかったというのが印象です。
量的には僕にはちょうど良いけど、大柄なアメリカ人はこれで足りるのでしょうか?
おかずパック+米パックを2パック渡される自衛隊と比べると、なんだか少ない気もします。

余談ですが、6時に食べたのに9時ごろおなかが空いてきてしまいました。消化は良いようです。
[size=+2]メニューナンバー02 ボンレスポークジャマイカ風


試食メニューその2、
[img=283,198]http://10.studio-web.net/~phototec/menu2-3[1].jpg[/img]今回も肉の塊系のメニューですが、ジャマイカ風?というソースにパスタがからめてありました。最初にパックを開けた時に、このソース独特のムッと来る匂いに少々食欲をそがれましたが、とにかく一口食べてみる事に。
まず肉にナイフを入れてみると、適度な弾力が伝わってきて、前回のステーキよりも歯ごたえはありそう?
切り口を見ると、おや?、やっぱりこれもハム?ボンレスポークって骨無し豚肉ってことですよね。ボンレスハムの事でしょうか?そりゃまあ冷えた豚肉なんて固くて食べられたもんじゃないですから、食べやすいように加工肉にしてあるのでしょう。
一切れ口に運び、ジャマイカ風味というのを味わってみると、「う~ん?」旨いとか不味いとかではなくて、不思議な味?です。どんな味付けをしてるのでしょうか?コショウと塩以外の調味料が分かりません。でもそれ以外の何かの味が複雑にからみ合って、他の物に例え様の無い味になっています。
ごめんなさいレポートになってませんね。でもこれは食べた人しか分からない味なのです。
味としては食べられない代物ではないのですが、やはりネックはこの匂い。 臭み消しの香草類やスパイスなどで、もうちょっとなんとかなりませんかね? [img=283,198]http://10.studio-web.net/~phototec/menu2-5[1].jpg[/img]クラッカーはベジタブルクラッカーということで、良く見ると乾燥した野菜が練り込んであります。そのせいか?前回食べたクラッカーより、多少ぱさぱさ感は無いように感じました。でも特に野菜の風味がある訳でも無く、やはり特別に味は付けてありません。
付属のチーズスプレッドを付けて食べるようですが、これも匂いが...。 でもチーズってもともと臭い物だと聞きますし、日本で売ってるのが特別なのかも知れませんね。
オレンジ色のチーズは、中で油と分離していて、しかも結構塩辛く、美味しい物では無いのですが、慣れて来ると結構食べられます。
ピーナッツバターよりは口の中に絡み付かず、楽に飲み込む事が出来ました。 [img=283,198]http://10.studio-web.net/~phototec/menu2-4[1].jpg[/img]このリンゴのスパイス風味は冷やして食べるもの?それとも温めて食べるものなのでしょうか?
見た目に反して意外と美味しく、シナモンが程よく効いてGood!
思い出した!これってマクドナルドのアップルパイの中身!そのまんまだ。
ですからクラッカーに乗せて食べても美味しいです。
[img=283,198]http://10.studio-web.net/~phototec/menu2-6[1].jpg[/img]パウンドケーキはチョコレート風味でした。 表面に見える白いカビのような物は砂糖の結晶のようです。中にチョコチップがちりばめられていて、これは期待出来そう!
最初一口食べてみてレトルト臭さが気になりましたが、味はいい!美味しいです!これ!きめ細かいスポンジ生地はしっとりと柔らかく、口の中で自然に溶ける感じは中々の物ですよ。それに甘さもちょうど良く、チョコチップのアクセントも良い感じです。
見た目とレトルト臭ささえなんとかすれば、売れますよ!これ。☆☆☆ [img=283,198]http://10.studio-web.net/~phototec/menu2-7[1].jpg[/img]ジュースはグレープジュースでしたが、紫というより黒に近い色は相変わらず毒々しく、健康オタクは飲みたく無い代物でしょう。
味の方はよくあるグレープジュースの味でしたが、規定量よりも薄めて飲んでも良かったかも。
あとで鏡を見たら、舌が紫色に染まってしまっていました。 [img=283,198]http://10.studio-web.net/~phototec/menu2-8[1].jpg[/img]今回もアクセサリーパックは{A}でした。

総評としては、今回はちょっと胸焼けがしてしまいました。お昼に食べて、このレポートを書いてる今でも(7時現在)まだ満腹感があり、晩御飯が食べられそうにありません。甘い物が多かったせいでしょうか?リンゴのスパイス風味はちょっと多すぎます。でも味についてはこれまた食べられない物もなく、意外と美味しい物にも出会えて幸せ。パウンドケーキはもう一度食べたい!
新型(現用)FRヒーター[size=+1]
ヒーターには当たりハズレがある!!
コレは失敗だなと思ったら、あきらめて他の方法で温める事をお勧めします。



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新型(現用)FRヒーター
伤不起啊, 白癜风专科,没看懂