世界上寿命最短的航空母舰

来源:百度文库 编辑:超级军网 时间:2024/03/29 20:46:49
二战中日本将大和级的最后一艘信浓号战列舰改造成航空母舰,结果其标准排水量达61000吨,满载排水量达76000吨,是世界上第一艘超级航空母舰,可它也是世界上寿命最短的航空母舰,其下水时,美国的几百艘潜艇已经遍部日本周遍海域,1944年10月5日,也就是它下水的第十天,美国射水鱼号前天跟梢了它7个小时后,在左舷1700码出发射6条鱼雷,12分钟后,4条鱼雷有破堂而出,结果有9条鱼雷集中在舰岛附近撕开一条长达47米的豁口,大量海水涌入,第二天,没有损管系统的信浓号因控制不住火势,在遭攻击14个小时后沉没了!舰上1200人无一生还!二战中日本将大和级的最后一艘信浓号战列舰改造成航空母舰,结果其标准排水量达61000吨,满载排水量达76000吨,是世界上第一艘超级航空母舰,可它也是世界上寿命最短的航空母舰,其下水时,美国的几百艘潜艇已经遍部日本周遍海域,1944年10月5日,也就是它下水的第十天,美国射水鱼号前天跟梢了它7个小时后,在左舷1700码出发射6条鱼雷,12分钟后,4条鱼雷有破堂而出,结果有9条鱼雷集中在舰岛附近撕开一条长达47米的豁口,大量海水涌入,第二天,没有损管系统的信浓号因控制不住火势,在遭攻击14个小时后沉没了!舰上1200人无一生还!
还有日本的大凤号!
楼主以上
对信浓号沉没的描述
基本是胡说~~~~~~~~~~
是胡说,同行的4艘驱逐舰救起了不少虾兵蟹将。信侬也不是没有损管系统,而是损管人员缺乏经验。
射水鱼号
只进行了一次鱼雷齐射
用的艇首鱼雷管
发射了6枚鱼雷
其中4枚命中
战果为击沉信浓号~~~~~~
请记住~~~~~就打了一轮~~~~
[此贴子已经被作者于2004-4-28 15:20:50编辑过]
舰长好象叫阿部。
阿部俊雄~~~~
和信浓一起挂了
以下是引用北大路花火在2004-4-28 15:22:00的发言:
阿部俊雄~~~~
和信浓一起挂了

呵呵,还是你厉害哦,我都记不清啦
阿部这家伙好象在瓜岛海战中指挥作战,结果接损了两艘金刚级战列舰。
那个是阿部弘毅中将
他损失了比睿号
雾岛是在近藤信竹中将指挥时损失的
嘿嘿,谢谢你啦
海军大虾
我就是来挨贬的,尽情贬吧!呵呵
大虾都是在贬中成长的。不胡说没人理我
以下是引用秋香在2004-4-29 4:38:00的发言:
我就是来挨贬的,尽情贬吧!呵呵
大虾都是在贬中成长的。不胡说没人理我


要怎么说好呢,你自己都知道是胡说了,不贬你,但你以后不要再这样作贱自己了好吗,浪费大家的时间.
在猎杀潜航中击沉过信浓号。
在猎杀潜航中我六发齐射中过四发....哎呀...还是被那些驱逐舰给挡掉了.....
这个可是大和级的舰体呀
以下是引用dtk在2004-4-29 15:48:00的发言:
[quote]以下是引用秋香在2004-4-29 4:38:00的发言:
我就是来挨贬的,尽情贬吧!呵呵
  大虾都是在贬中成长的。不胡说没人理我


要怎么说好呢,你自己都知道是胡说了,不贬你,但你以后不要再这样作贱自己了好吗,浪费大家的时间.
[/quote]

对MM还是要客气一点滴。
我在超大改版前就在海军版发过了。
MM8要胡说八道呀1
<B>以下是引用<I>grp_ir</I>在2004-4-30 10:15:00的发言:</B>
这个可是大和级的舰体呀

<P>
<P>是大和改的舰体,原战列舰计划相比大和,更改了副炮设计,减弱了装甲。</P>
<P>改成航母后,装甲又有削弱。</P>
<P>被鱼雷命中后,水密门都没关上,惨。</P>
日本の空母で信濃ってありますよね。あの大和型戦艦になるハズだったヤツ。アレも魚雷で沈みましたけど、信濃には注排水システムは搭載されてなかったんですか?  
紀伊 <P>詳細は他の方がご存知とは思いますが、結論からいうと、システム自体は当然搭載していました。
惜しむらくはそのシステムを生かすだけの兵員の質(将官はまだしも)がなかったこと、艦自体も仕上がりが不十分な状態で戦線に投入されてしまったことです。
どちらか一方があればあのような沈没には至らなかったでしょうし、あるいはこのような最悪に近い状態で4本もの魚雷を食ってなお数時間浮かび続けられたところにも「信濃」の強靭さが垣間見えると思います。
(片舷4本食らえば、戦艦級でも通常は戦闘能力激減、下手すると「瞬時に」沈むことがあります)

zono

学研の歴史群像シリーズ「空母大鳳・信濃」の記事によれば、横須賀工廠造船部で信濃担当だった山内技師の覚書で「防水区画の気密試験省略はも水線部以上に限られていた」ということであり、また「進水後の在泊時に、10区画程度の抜き取り試験ではあるものの、注排水試験も行われた」ということです。
 さらに、山内技師が信濃沈没後に作成した「空母信濃被雷時の注水操作について」によれば、右舷に被雷後、通常は直ちに左舷へ注水し、傾斜を復元しなければならないところ、注水弁の誤操作(つまり、注水したつもりが注水されていなかった。そして、その間違いに誰も最後まで気付かなかった)により、左舷への注水はついに実施されず、ついに転覆したと結論付けられています。

ちなみに、信濃の水中防御は空母改造までにある程度工事が進んでいたので、船体構造や注排水等の装備も含めて、基本的に戦艦「大和」と同じです。むしろ、磁気信管対策として機関部の船底の一部を三重底にする、ガソリンタンク周辺の区画にコンクリートを充填する(対魚雷対策としての効果は??)など、戦訓を取り入れた改良が施されています。


つね

信濃の護衛の駆逐艦に乗っていた人の話だと潜水艦捜索後戻ってみると「信濃は傾きもせず火災も起こしていなかった」という話を聞いたことがあります(実際は戻ってくるまでに注排水装置で傾斜復旧をしたものと思われる)その後呉へ向かっている最中(真夜中)に謎の轟音(本人は信濃内部のガス爆発だと聞いたそうです、少なくとも再雷撃ではない)が信濃のほうから起きそれから急に傾きがひどくなっていったそうです。(何の音だったのでしょう?)
ホーク

>ホーク殿
信濃の沈没までの時系列を簡単に並べると、おおむね以下のとおりとなります。
昭和19年11月28日
21:00ごろ 信濃電探が不明艦らしきものを探知。護衛の「雪風」が反転調査するも、敵潜水艦は確認できず。 
昭和19年11月29日
02:45ごろ 信濃見張員が敵潜水艦らしきもの発見。
03:05   敵潜水艦を見失う。
03:17   米潜「アーチャーフィッシュ」が信濃を雷撃。右舷に4本命中。
05:00ごろ 傾斜増大により主機関が停止し、航行不能となる。
06:00ごろ 艦の傾斜が20度を越える。
09:00ごろ 総員退去発令。
10:57   空母「信濃」潮岬沖の熊野灘に沈没。

以上のように、ホーク殿の言われる潜水艦捜索は、おそらく前日の雪風による捜索のことではないでしょうか?この時点では、まだ信濃は被雷していません。
信濃が雷撃を受けたのは3時17分のことであり、真夜中の「謎の轟音」というのが、すなわち「信濃」に魚雷が命中した音だったのです。
つね

よそ者が済みませんがホークさんの仰ってるのはこちらの話だと思います。

http://www.amitaj.or.jp/~shibata/book/book_63.html
のなし

>のなし殿

ご指摘のページ拝見しました。なかなか興味深い記事ですね。
実際にその場で体験された方の記事を、簡単に否定するわけには参りませんが、「信濃」については、第二次大戦中に竣工した世界最大の空母であるとともに、
竣工後わずか10日ほどで沈んだ悲運の空母として、たくさんの本に書かれており
ます。
4.の回答で書いた時系列は、そうした本などで広く使われている数字であり、
米潜「アーチャーフィッシュ」艦長、エンライト少佐も執筆に参加している
「信濃!日本秘密空母の沈没」でも、ほぼ同様の時系列が語られていますので、
信頼に値するものと思っております。

戦場では、往々にして情報の混乱があり、末端の水兵たちまでは正確な情報が
なかなか伝わらなかった、また戦後かなりの年数が経過してからまとめられた
ものということで、大変失礼ながら、記憶が曖昧になっていたり、他の体験と
混同されている部分もあったのではないかと推察します。
つね

>5.、6.
本記事、「金剛」と「浦風」の被雷が昼間の出来事のように読めるのも奇異な気がします。「浦風」は艦影を認めるいとまもなく轟沈とも聞いています。 遺稿をまとめた方が比較的海事にうとく、編集の過程で手(過誤)が入ったのかもしれません。
IWA

つね様、IWA様
確かに他の項を読んでみても、明らかにおかしいと思われる部分はあります。でも磯風の処分時の話など、微細は違ってもその場にいた方の強烈な印象にのこった情景はなんとなく想像できます。

ところで信濃の釜の火はいつの時点で消されたのでしょう?私はあとの轟音とはボイラーに水が入った時の事と考えましたが。
のなし

「空母信濃の生涯」などの記事では、被雷から約3時間後の午前5時ごろだったと言われています。
まず、被雷により右舷外軸が運転不能、ほどなくして浸水拡大のため右舷内軸も運転停止。しばらくは左舷の2軸で航行していましたが、右傾斜が18度に達しボイラーで使用する真水の供給ができなくなったため、左舷外軸、続いて最終的に左舷内軸も運転不能となり、信濃は航行不能状態に陥ったということです。
 信濃に関しては、ボイラー浸水による水蒸気爆発が起こったという話を読んだことがないように思います。
つね

 雪風乗員の久保木尚という方が絵心があって(波の書きかたに独特な意趣があります)、雪風関連のスケッチを幾つも残されています。信濃のものは、右舷に大傾斜して停止し、特徴ある艦首に曳航索をだらりととたらして後部エレベータ開口から蒸気を高く垂直に上げているもの見たことがあります。(世界の艦船誌の横井忠俊の記事の挿絵)少なくとも明るくなったあと(停止した後)も、罐は焚かれていたのではないかと思いました。(罐は傾斜しても焚けますが、照明・油圧の主動力の原動機の発電機は夜明け前に運転できなくなったのではないかと思っています。)
IWA

私がこの話を見つけるきっかけとなったサイトでは轟音の正体として、当時信濃にはガソリン及び火薬はつんでいなかったということから防水隔壁が壊れて浸水が広がった音ではないかという説が出ていました、そういったこと(防水隔壁が壊れること)はありうるのでしょうか?
ホーク

防水区画に浸水すると、そこに在った空気があらゆる開口部から外に押し出されますんで、浸水が急速になるとそれが著しくなって轟音となるんじゃないでしょうか。
アルゼンチン観戦武官ガルシア大佐も、日本海海戦で輸送船「ウラル」の沈没時に大きく強力なサイレンのような轟音を聞いたと自身の手記で述懐しています。
志郎家の番頭
9条?
哈哈
将这玩艺改成航母是一个很大的错误
<P>山本大神说过:人类三大愚蠢的军事设计1.中国人造长城; 2.法国人造了马其诺防线;3.日本人造大和</P>
呸,长城造的多英明
<P>吐~~~~~``</P><P>大和造得多漂亮~~~~~~~~~~~</P>
[此贴子已经被作者于2004-6-28 4:40:05编辑过]
<B>以下是引用<I>clarkkent</I>在2004-6-28 0:35:00的发言:</B>
大和是漂亮,我也喜欢,满载72000吨的排水量,那是倾日本国力之作啊!可惜生不逢时,联合舰队被南云忠一那个庸才给断送掉了!没有机会和依阿华决战!要不,大和加上武藏,把依阿华全部送进海底估计问题不大!唉,东乡平八朗若泉下有知,也将遗憾无比啊!


晕!!哪个时代已经是海军航空兵的天下了!!大和出现就注定了它的悲剧!!
<B>以下是引用<I>北大路花火</I>在2004-6-27 22:37:00的发言:</B>

<P>山本大神说过:人类三大愚蠢的军事设计1.中国人造长城; 2.法国人造了马其诺防线;3.日本人造大和</P>其实山本最愚蠢!!傻到自己去送死!!!
<B>以下是引用<I>北大路花火</I>在2004-6-27 22:45:00的发言:</B>

<P>吐~~~~~``</P>
<P>大和造得多漂亮~~~~~~~~~~~</P>


冷兵器时代,长城这样的防御工事还是很有用的
<B>以下是引用<I>clarkkent</I>在2004-6-28 0:35:00的发言:</B>
大和是漂亮,我也喜欢,满载72000吨的排水量,那是倾日本国力之作啊!可惜生不逢时,联合舰队被南云忠一那个庸才给断送掉了!没有机会和依阿华决战!要不,大和加上武藏,把依阿华全部送进海底估计问题不大!唉,东乡平八朗若泉下有知,也将遗憾无比啊!

<P>
<P>两艘大和未必就是四艘衣阿华的对手。。。</P>
<P>还有,联合舰队的失败绝对不是某一个人的责任!</P>
我是说,要是双方海航还是实力相当,中途岛没输,珊瑚海打个平手的话,说不定两边的战列舰舰队有机会决一死战,而不是大和,武藏挨炸,密苏里,威斯康星,依阿华站在边上看热闹!毕竟,二战的战列舰决战还是打过的嘛!至于中途岛的那四艘航母,很大程度上是被南云忠一那个让舰载机挂满鱼雷在飞行甲板上待命的命令送入海底的!
[此贴子已经被作者于2004-6-28 7:39:55编辑过]
<P>大虾都是被水淹出来的</P><P>所以新人要多潜水  谢谢!</P><P>信农好象有很多水密仓还没做好呢吧 ~ 所以 水一近来想怎么流就怎么流~~</P><P>最后流遍了全舰~~~~~~</P><P>其实我倒希望它是被飞机炸沉的  那样能炸的更碎一些~~~~~~~~~~~~~~~</P>
<P>小日本从它发动太平洋战争的时候就注定要失败</P>
<P>是胡说,同行的4艘驱逐舰救起了不少虾兵蟹将。信侬也不是没有损管系统,而是损管人员缺乏经验</P><P>同意</P>
<P>苏里高让那帮老家伙们发了言</P><P>菲律宾没机会碰上</P><P>要是没有万恶的嗡嗡叫得苍蝇就好了</P>